今市地震

今市地震

今市用水の改良問題 (今市と宇都宮の水道の歴史 9)

さて、ここまで説明した「宇都宮水道の拡張事業」、「今市町上水道敷設」とほぼ同時期に行われた大きな事業が、「今市用水の改良問題」である。  この章では、昭和23年(1948)から昭和28年(1953)にかけて起こったことを調べてみる。 今市用...
今市地震

戸祭配水場 (今市と宇都宮の水道の歴史 7)

「配水場」とは浄水場より配水管を通ってきた水を各蛇口まで導く役割をもち、何かのトラブルで浄水が一時的に止まってしまった場合でも安定して配水できるように、「配水池」として浄水をためておく役割も持つ。  この章では戸祭山に築かれた「戸祭配水場」...
今市地震

今市浄水場と戸祭配水場をつなぐ送水管 (今市と宇都宮の水道の歴史 5)

大正時代から昭和にかけて、今市町と宇都宮市を結んだ水道について調べた。
今市地震

今市浄水場 (今市と宇都宮の水道の歴史 4)

大正時代から昭和にかけて、今市町と宇都宮市を結んだ水道について調べた。
今市地震

今市地震の爪痕(15完) 結びに 日光地震と五十里湖

「日光地震」と「五十里湖」 日光地震  天和3年(1683)5月23日から9月1日(旧暦であるため現在でいうと6月17日から10月20日。以降新暦の日付で記載する)の間に幾度かに渡って発生した「日光地震」では、同年4月頃から群発地震が相次ぎ...
今市史談会

小来川の黒沼 (今市地震外伝)

黒沼  今市から平ケ崎、山久保と抜け小来川方面に向かう道の右手に、「黒沼」という地がある。沼というが水は無く、湿地とも言い難い。 ではなぜここを黒沼というのだろうか。 小来川の黒沼  ここ黒沼から1kmほど南下すると、右手に八坂神社の鳥居が...
今市地震

今市地震の爪痕(14) 山久保稲荷神社 震災記念碑

h) 山久保稲荷神社 震災記念碑 日光町山窪から沼内(山久保より北方面)・上野(さらに北側の生岡神社方面)は山崩れによって著しい地形変化を受けた。山久保の稲荷神社には復興を記念した石碑が建っている。 拝殿を正面に見て、右手側にある比較的小さ...
今市地震

今市地震の爪痕(13) 文挾二荒山神社 震災復興記念碑

g)文挾二荒山神社 震災復興記念碑  文挾の二荒山(ふたらさん)神社の鳥居前に建立された石碑。これまた非常に難しい字で彫られており、こういう字を探すときにはアナログな漢和辞典が非常に役に立つ。 裏面の「委員」に見られる「樋山昌一」は明治30...
今市地震

今市地震の爪痕(12) 板橋 紡績堀・二宮堀 震災復旧記念碑

f)板橋 紡績堀 二宮堀 震災復旧記念碑  板橋の栖克(すみよし)神社の参道に設置されている。この周辺は紡績堀と二宮堀の2つの用水路が地震によって破壊され、灌漑設備が壊滅的な被害をうけた。2つの堀の修繕はわずか1年3ヶ月後に達せられた。  ...
今市地震

今市地震の爪痕(11) 明神 中原用水震災復旧記念碑

e)明神 中原用水震災復旧記念碑  十石坂から例幣使街道の西側を並行に走る細い道がある。これを南に600mほど南に進んだY字路にひっそりと佇む中原用水震災復旧記念碑。周囲に民家は皆無な上に、もともとにおいて石碑というものに関心を持つ人物自体...
今市地震

今市地震の爪痕(10) 吉沢磐裂神社 震災復旧記念碑

d)吉沢磐裂神社 震災復旧記念碑  吉沢の磐裂神社境内に設置された石碑。この地区は用水路の破壊や農地の亀裂の被害が多かった。余談であるが、平成27年の台風ではこのあたりは完全に浸水し農地に大きな被害をだした。 石碑には復旧の場所、使った金額...
今市地震

今市地震の爪痕(9) 室瀬磐裂神社 室瀬用水堀工事 震災復旧記念碑

c)室瀬磐裂神社 室瀬用水堀工事 震災復旧記念碑  旧今市町室瀬の磐裂神社の敷地内に、「室瀬用水堀工事 震災復旧記念碑」がある。室瀬磐裂神社は小さな山の頂上にあるが、南斜面が頂上から崩れ、このため社殿南側が浮き上がった形になった。現在も南側...
今市地震

今市地震の爪痕(8) 和泉磐裂神社 震災復興記念碑

b) 震災復興記念碑 (和泉磐裂神社境内)  日光市和泉の磐裂神社の社殿は今市地震で倒壊してしまったが、昭和26年に氏子たちの手によって再建された。  昭和前半の地図には「戦勝神社」と記載され、地元の古老もそのことを認識されているが、正式な...
今市地震

今市地震の爪痕(7) 震災記念碑 今市町

二宮金次郎,二宮尊徳,今市地震,震災復興,石碑
今市地震

今市地震の爪跡(6) 和泉沼

今回は日光市和泉の「和泉沼」を訪れた。この沼の存在を知る人は稀である。 ① 金澤山と室瀬地区 ②今市地方震災横死者供養塔 ③地震坂 ④和泉沼 ④ 和泉沼 和泉沼は、今市地震で川が堰き止められたことによってできた沼である。 この周辺は現在も舗...
今市地震

今市地震の爪跡(5) 地震坂

今回訪れたのは、例幣使街道の地震坂である。 ① 金澤山と室瀬地区 ②今市地方震災横死者供養塔 ③地震坂 ④和泉沼 ③地震坂 例幣使街道の十石峠付近は、高さ5mほどの堤が百mほど崩れ、樹齢百年以上の杉が根こそぎ倒れて交通を遮断した。鹿沼方面か...
今市地震

今市地震の爪跡(4) 今市地方震災横死者供養塔

今回は、「今市地方震災横死者供養塔」について調べた。 ① 金澤山と室瀬地区 ②今市地方震災横死者供養塔 ③地震坂 ④和泉沼 ②今市地方震災横死者供養塔 今市地方震災横死者供養塔 この石碑は、平ケ崎からいわゆる行川ダムに向かう坂の途中に建てら...
今市地震

今市地震の爪痕(3) 金澤山と室瀬行川

(ⅰ)金澤山に登る (ⅱ)金澤山のふもと (ⅲ)土砂崩れの様子 ⅱ 金澤山のふもと 明神方面より今市方面を望む。左手が金澤山で、右手に植林された低地が見える。この低地は福田家一家が生き埋めとなり4名の命が失われた場所である。 今市方面を望む...
今市地震

今市地震の爪痕(2) 金澤山と室瀬行川

ここで、室瀬地区の現在の地図を見てみよう。 (ⅰ)金澤山に登る (ⅱ)金澤山のふもと (ⅲ)土砂崩れの様子 (ⅰ) 金澤山に登る (ⅰ)が金澤山である。ここから北―北東方面に土砂崩れが発生した。以下は「今市地方震災誌」から転載した地震発生後...
今市地震

今市地震の爪痕(1) 金澤山と室瀬行川

今市地震  それは73年前。長く辛い第二次世界大戦が集結して4年後、日本の経済にようやく自立の目処が立ち始めたころである。 今市町は多くの人で賑わう暮れの大売り出しの「商工祭」の最終日であり、学生たちは冬休みに入る前の終業式を迎える日。そん...