2023-01

日光市の郷土史

如来寺の化け桜

如来寺 雪の如来寺  星顕山光明院如来寺 せいけんざんこうみょういんにょらいじ は室町時代に創建された浄土宗の寺院である。徳川将軍の日光社参の際の御殿が建てられたり(寛文5年(1665)下賜後に、寛保2年(1742)焼失)、二宮金次郎の葬儀...
今市地震

今市地震の爪痕(15完) 結びに 日光地震と五十里湖

「日光地震」と「五十里湖」 日光地震  天和3年(1683)5月23日から9月1日(旧暦であるため現在でいうと6月17日から10月20日。以降新暦の日付で記載する)の間に幾度かに渡って発生した「日光地震」では、同年4月頃から群発地震が相次ぎ...
今市史談会

小来川の黒沼 (今市地震外伝)

黒沼  今市から平ケ崎、山久保と抜け小来川方面に向かう道の右手に、「黒沼」という地がある。沼というが水は無く、湿地とも言い難い。 ではなぜここを黒沼というのだろうか。 小来川の黒沼  ここ黒沼から1kmほど南下すると、右手に八坂神社の鳥居が...
今市地震

今市地震の爪痕(14) 山久保稲荷神社 震災記念碑

h) 山久保稲荷神社 震災記念碑 日光町山窪から沼内(山久保より北方面)・上野(さらに北側の生岡神社方面)は山崩れによって著しい地形変化を受けた。山久保の稲荷神社には復興を記念した石碑が建っている。 拝殿を正面に見て、右手側にある比較的小さ...
今市地震

今市地震の爪痕(13) 文挾二荒山神社 震災復興記念碑

g)文挾二荒山神社 震災復興記念碑  文挾の二荒山(ふたらさん)神社の鳥居前に建立された石碑。これまた非常に難しい字で彫られており、こういう字を探すときにはアナログな漢和辞典が非常に役に立つ。 裏面の「委員」に見られる「樋山昌一」は明治30...
今市地震

今市地震の爪痕(12) 板橋 紡績堀・二宮堀 震災復旧記念碑

f)板橋 紡績堀 二宮堀 震災復旧記念碑  板橋の栖克(すみよし)神社の参道に設置されている。この周辺は紡績堀と二宮堀の2つの用水路が地震によって破壊され、灌漑設備が壊滅的な被害をうけた。2つの堀の修繕はわずか1年3ヶ月後に達せられた。  ...
今市地震

今市地震の爪痕(11) 明神 中原用水震災復旧記念碑

e)明神 中原用水震災復旧記念碑  十石坂から例幣使街道の西側を並行に走る細い道がある。これを南に600mほど南に進んだY字路にひっそりと佇む中原用水震災復旧記念碑。周囲に民家は皆無な上に、もともとにおいて石碑というものに関心を持つ人物自体...
今市地震

今市地震の爪痕(10) 吉沢磐裂神社 震災復旧記念碑

d)吉沢磐裂神社 震災復旧記念碑  吉沢の磐裂神社境内に設置された石碑。この地区は用水路の破壊や農地の亀裂の被害が多かった。余談であるが、平成27年の台風ではこのあたりは完全に浸水し農地に大きな被害をだした。 石碑には復旧の場所、使った金額...
今市地震

今市地震の爪痕(9) 室瀬磐裂神社 室瀬用水堀工事 震災復旧記念碑

c)室瀬磐裂神社 室瀬用水堀工事 震災復旧記念碑  旧今市町室瀬の磐裂神社の敷地内に、「室瀬用水堀工事 震災復旧記念碑」がある。室瀬磐裂神社は小さな山の頂上にあるが、南斜面が頂上から崩れ、このため社殿南側が浮き上がった形になった。現在も南側...
今市地震

今市地震の爪痕(8) 和泉磐裂神社 震災復興記念碑

b) 震災復興記念碑 (和泉磐裂神社境内)  日光市和泉の磐裂神社の社殿は今市地震で倒壊してしまったが、昭和26年に氏子たちの手によって再建された。  昭和前半の地図には「戦勝神社」と記載され、地元の古老もそのことを認識されているが、正式な...
日光市の廃校

今市の廃校9 長畑学舎

小代尋常小学校長畑分教室(長畑学舎) 小代尋常小学校長畑分教室は現在の日光市立落合西小学校のルーツとなる学校であり、厳密に言えば廃校になったわけではないが、明治期にその名を失った学校であり、同様の環境でありながら廃校記念碑まである「岩崎学舎...
今市地震

今市地震の爪痕(7) 震災記念碑 今市町

二宮金次郎,二宮尊徳,今市地震,震災復興,石碑
日光市の廃校

今市の廃校8 小代尋常小学校

小代尋常小学校  小代尋常小学校は、今市史談会の会員の皆様には「知新舎」という名称のほうがわかりやすいのかもしれない。その詳しい(あるいは正確な)歴史は駒場明房氏、渡辺武雄氏、佐藤治由先生ら偉大な先輩方の著書に詳しいのでそちらを参考にしてい...
日光市の廃校

今市の廃校7 今市市立吉沢小学校

日光市(旧今市市)の廃校、吉沢小学校の歴史をたどる。千葉省三が通ったことでも知られる。