鬼怒川水力電気

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鬼怒川水力電気 08 完 (犠牲者を悼む碑)

犠牲者を悼む  今回は鬼怒川水力電気㈱の建設工事で犠牲になった人々の供養の跡を辿ってみよう。 鬼怒川水力電気大丸組配下傷病死者供養塔(旧・藤原町)  鬼怒川温泉大原の日光市立藤原中学校から旧道に入ってすぐの墓地の一角にひっそりと立つ「供養塔...
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鬼怒川水力電気 07 (巨大工事がもたらした光と影)

明治から大正時代にかけて、ほんの数年で完成して東京までの送電を開始した「鬼怒川水力電気株式会社」。当時東洋一と言われた規模のダムを作るために工事に従事した人数は常時6,000人とも8,000人とも言われ、それらの人々が短期間に今市町、藤原村...
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鬼怒川水力電気 06 (電源の設置、軌道と鉄索)

さてこれまで、「黒部堰堤」「下滝発電所」「逆川ダム」とそれらをつなぐ「隧道」の工事の様子を辿ってみた。それによって鬼怒川水力電気の工事のおおよその位置関係が掴めたと思う。 今回は、それらの主な工事の「下準備」にあたる工事について調べてみる。...
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鬼怒川水力電気 05 (下滝発電所、逆川ダム)

前回まで、鬼怒川水力電気㈱の設立と、黒部堰堤(ダム)について調べたことを発表した。 今回は当時の塩谷郡藤原村大字下滝に建設された「下滝発電所」とそれに付随する工事について調べる。 大正時代の鬼怒川水力電気地図。緑の点線は水道管を埋めた隧道。...
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鬼怒川水力電気 04 (黒部堰堤・黒部ダム2)

鬼怒川水力電気の工事の簡易年表 (地理院地図を利用して作成) 黒部ダムの竣工 鬼怒川水力電気案内図  さて、東京に向けての送電が開始された後の大正2年(1913)9月16日、黒部ダムがようやく竣工した。完成したダムは当初の予定より小規模のも...
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鬼怒川水力電気 03 (黒部堰堤・黒部ダム1)

黒部ダム(黒部堰堤) 注:和暦について説明する。鬼怒川水電の工事は明治44年(1911)から大正2年(1913)までが主な時期となる。明治45年(1912)は7月30日より年号が大正に切り替わる。  よって、明治時代の人の発言で「来年の大正...
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鬼怒川水力電気 02 (工事の起工)

発電所建設の過程  鬼怒川水電の工事は、着工に至る前に様々な土地や水利権の買収、賃借契約などを済ませなければならなかった。栃木県の鬼怒川上流は水力発電に有利な条件を備えているということで、ほとんど人が住んでいない場所にも関わらず、発電用の水...
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鬼怒川水力電気 01 (鬼怒川水力電気の設立)

東洋一の水力発電所  今市から国道121号線を鬼怒川温泉方面に向かい、日光市立藤原中学校の先の跨線橋を通ると、ちょうど正面右手の山に見えるのが「東京電力リニューアブルパワー㈱ 鬼怒川発電所」である。 これは栗山村(現・日光市)の黒部ダムを水...