今市地震の爪痕(13) 文挾二荒山神社 震災復興記念碑

g)文挾二荒山神社 震災復興記念碑

 文挾の二荒山(ふたらさん)神社の鳥居前に建立された石碑。これまた非常に難しい字で彫られており、こういう字を探すときにはアナログな漢和辞典が非常に役に立つ。
 裏面の「委員」に見られる「樋山昌一」は明治30年創業の日光醤油のろばたづけ「樋山昌一商店」の樋山昌一氏その方である。
 樋山昌一氏について、「日光醤油のろばたづけ」のサイトから引用させていただく。

 日光東照宮に携わる御普請奉行元締格という要職を戴いた六代前の祖先 樋山始次郎義見(ひやまもとじろうよしちか)。戊辰戦争で「二君にまみえず」とこの地を追われ、無一文となりながら駿河まで落ちのびました。
 その子、才三郎は明治維新の後、白沢街道の澤姫(井上醸造)に嫁いだ姉を頼り、糀造りの基礎を学びました。
 そこで分けていただいた一握りの糀を携え、ここ文挾で創業したのが明治30年のこと。

日光醤油のろばたづけ https://robata.co.jp/

創業者の父、始次郎義見(もとじろうよしちか)
初代創業者、才三郎義成(さいざぶろうよしなり)
二代目 創三郎
三代目 昌一
四代目 順一
当代 裕伸
(敬称略させていただきました)となるそうだ。

さて、碑の文面は以下である。

(表面)

「震災復興記念碑」

昭和24年12月26日、払暁(ふっぎょう)当地を襲いたる前古未曾有の大震災は、百有余年間、地方住民の繁栄・生存の動脈たるその二宮堀を一瞬にして壊滅し、住民をして絶望の淵におとしいれたり。その後、関係官民各位の心血を注ぎたる郷土愛により昭和26年12月、ついに竣工をみたり。よって茲(ここ)に碑を建て史実を記録し後世に伝えるものなり。

(裏面)

総工費 806,000円 (内訳 523,900円国庫補助 282,100円地元負担)

工事主体共同代表者 福田民一郎

設計者 栃木県技師 参木克彦

工事委員長 江田泰治郎

委員 伊藤代蔵・加藤秋之介・田中林作・岡部正信・樋山昌一・手塚才一郎・碓水芳宣・田中豊

書紀 田中豊

大字文挾一同

工事施工者 手塚勝雄

昭和27年5月21日 鹿沼市 石鉄

石工「石鉄」は、現在も鹿沼市寺町にある。当時の文挾は「上都賀郡落合村」であり(昭和29年(1954)に上都賀郡今市町へ編入、市制施行し今市市となる)、小代や板橋とともに鹿沼との強い結びつきが関係しているのかもしれない。

文挾二荒山神社の入り口にある。

二荒山神社が出てきたので、ここで大切なことを追記する。
正しい読み方は、
日光→ 「ふたらさん神社」
 http://www.futarasan.jp/
宇都宮→「ふたあらやま神社」
 
 http://futaarayamajinja.jp/
である。

 これはそれぞれの神社のサイトのドメイン名にもしっかり表記されている。
 歳神さえ違う別の神社であるのだが(その成立経緯には諸説ある)とくに宇都宮のほうを間違えて読んでいる方が多いように思っている。

 文挾のこちらは、日光の二荒山神社を勧請したものであるので、「ふたらさん」神社である。

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