黒沼
今市から平ケ崎、山久保と抜け小来川方面に向かう道の右手に、「黒沼」という地がある。沼というが水は無く、湿地とも言い難い。
ではなぜここを黒沼というのだろうか。
ここ黒沼から1kmほど南下すると、右手に八坂神社の鳥居が見える。奈良時代、このあたりを流れる黒川は八坂神社のあたりで塞き止められ、大きな沼になっていたということだ(この塞き止めは、鶏鳴山の土石流のためだったのではないかという説がある)。
日光開山の祖である勝道上人は、この沼のほとりに庵を建て鶏鳴山に登って修行していたが、沼で朝夕に沐浴し、汚れた法衣を洗濯していたら沼が真っ黒になったので、「黒沼」と言われることになったという伝承がある。
「どんだけ汚ねぇんだ」と思うだろうが、こういった誇張は極めてよく目にするものである。ストーリーを厚くする狙いもあるだろうが、理由はいずれにせよ「沼が黒かった」のは本当なのだろう。
黒沼の中央に、石柱が建っている。これは、文化年間に小来川の黒川神社に奉納された石鳥居である。近郷に珍しい石造りの大鳥居と、それに準ずる二の鳥居は、昭和24年の今市地震で倒壊してしまった。
石柱は、この二の鳥居の柱で作られたものである。石柱には「史跡 黒沼 日光市教育委員会」と書かれているが、揮毫は「日光史」等の著者である星野理一郎先生によるものである。
また、黒川神社の境内に立つ2つの大きな石灯籠は、今市地震で倒れた大鳥居を利用して作られたものである。
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