今市地震 今市地震の爪跡(6) 和泉沼 今回は日光市和泉の「和泉沼」を訪れた。この沼の存在を知る人は稀である。 ① 金澤山と室瀬地区 ②今市地方震災横死者供養塔 ③地震坂 ④和泉沼 ④ 和泉沼 和泉沼は、今市地震で川が堰き止められたことによってできた沼である。 この周辺は現在も舗... 今市地震
今市地震 今市地震の爪跡(5) 地震坂 今回訪れたのは、例幣使街道の地震坂である。 ① 金澤山と室瀬地区 ②今市地方震災横死者供養塔 ③地震坂 ④和泉沼 ③地震坂 例幣使街道の十石峠付近は、高さ5mほどの堤が百mほど崩れ、樹齢百年以上の杉が根こそぎ倒れて交通を遮断した。鹿沼方面か... 今市地震
今市地震 今市地震の爪跡(4) 今市地方震災横死者供養塔 今回は、「今市地方震災横死者供養塔」について調べた。 ① 金澤山と室瀬地区 ②今市地方震災横死者供養塔 ③地震坂 ④和泉沼 ②今市地方震災横死者供養塔 今市地方震災横死者供養塔 この石碑は、平ケ崎からいわゆる行川ダムに向かう坂の途中に建てら... 今市地震
今市地震 今市地震の爪痕(3) 金澤山と室瀬行川 (ⅰ)金澤山に登る (ⅱ)金澤山のふもと (ⅲ)土砂崩れの様子 ⅱ 金澤山のふもと 明神方面より今市方面を望む。左手が金澤山で、右手に植林された低地が見える。この低地は福田家一家が生き埋めとなり4名の命が失われた場所である。 今市方面を望む... 今市地震
今市地震 今市地震の爪痕(2) 金澤山と室瀬行川 ここで、室瀬地区の現在の地図を見てみよう。 (ⅰ)金澤山に登る (ⅱ)金澤山のふもと (ⅲ)土砂崩れの様子 (ⅰ) 金澤山に登る (ⅰ)が金澤山である。ここから北―北東方面に土砂崩れが発生した。以下は「今市地方震災誌」から転載した地震発生後... 今市地震
今市地震 今市地震の爪痕(1) 金澤山と室瀬行川 今市地震 それは73年前。長く辛い第二次世界大戦が集結して4年後、日本の経済にようやく自立の目処が立ち始めたころである。 今市町は多くの人で賑わう暮れの大売り出しの「商工祭」の最終日であり、学生たちは冬休みに入る前の終業式を迎える日。そん... 今市地震
日光市の廃校 今市の廃校5 小百小学校・小休戸分教場 日光市立小百小学校 住所:日光市小百531 まだ記憶に新しい小百小学校の廃校。同小は、明治6年(1873)に小百学舎として字宮越の現在地にあった天台宗宝勝寺(明治5年に廃寺)の本堂を仮校舎として開校した。宝勝寺は小百の高雄神社・愛宕神社の... 日光市の廃校
日光市の廃校 今市の廃校4 今市第二尋常小学校 今市第二尋常高等小学校 今市第二尋常高等小学校は住吉町のかねます商事(大橋ガソリンスタンド)の裏手にあった。明治35年(1902)までこの場所に今市尋常高等小学校(後の今市小学校)があったが、琵琶ヶ窪(現在の今市小学校の場所)に新校舎を建... 日光市の廃校
日光市の廃校 今市の廃校3 夜間学校・職業訓練校 栃木県立鹿沼農商高校豊岡分校 鹿沼農商高校豊岡分校は、昭和24年(1949)から旧豊岡中学校(現・豊岡運動公園)に存在した定時制高校である。当時の豊岡中学校の校舎を一部借用し、農林科と家庭科を設置した。授業は週に平均3日程度行われた。 ... 日光市の廃校
日光市の廃校 今市の廃校1 今市女子高等学校 明治5年に発布された学制により、今市は翌明治6年には教育の大切さを尊ぶ多くの篤志家が中心となって各地で学校が開かれた。開校当初はどの村々も学校設営・運営の資金が乏しく、寺院や廃寺、住宅を借用して学校を開校せざるを得なかったことが記録されてい... 日光市の廃校
日光市の廃校 日光市の廃校を巡る はじめに 昔は子どもが多かったという。 私は第二次ベビーブームの頃に生を受けた。子どもの頃、住んでいる町内の育成会だけでも50人程度の小学生がいた。学校では「起立」の声で立ち上がると、後ろの机に椅子がぶつかってしっかり起立できない程に一ク... 日光市の廃校
日光市の郷土史 日光街道を歩く14 その後 旅を終えて ここまで10日間に渡り合計の234kmの道のりを歩いてきたわけだが、旅の終わりにその感想を書いてみる。 首都トーキョーの光と影 東京は開発が進みに進んだ大都会であるが、それでも江戸の頃の歴史をしっかり満喫することができた。多... 日光市の郷土史街道