前回まで、鬼怒川水力電気㈱の設立と、黒部堰堤(ダム)について調べたことを発表した。
今回は当時の塩谷郡藤原村大字下滝に建設された「下滝発電所」とそれに付随する工事について調べる。
下滝発電所
下滝発電所は赤レンガ造りの3階建てであったが、今はこの建物は無い。これが残っていたならば、それはすばらしい観光名所となっていただろう。
黒部ダムより途中の逆川ダムを経て、14.4kmの隧道を通り、大久保山(今はそう呼ぶ人も少ないのではないだろうか)の中腹に築かれた巨大水槽に運ばれてきた河川の水は、落差325m、長さ1.09kmの鉄管を通って発電所内に下って発電用のタービンを回す。
建物内は発電室、蓄電室、配電盤室、変圧器室などから成り、10,250馬力の水車に8,700kw発電機を直結したものを6台、7,100kw変圧器が9台などが設置された(これがどれほど凄いのかはいまいちよく解らないが)。
ちなみに現在は環境を配慮して鉄管は地中に埋設されており、実際に目にすることはできない。
逆川ダム
逆川ダムは、川治温泉付近で鬼怒川へ合流する逆川の上流に位置する。所在地は「日光市鬼怒川温泉滝」であるが、「鬼怒川温泉」の住所ではあるがあまりに山奥で昔も今も人は住んでいない。
たどり着くには龍王峡もしくは川治温泉の手前からクルマで途中のゲートまで進み、そこからは極めて多くのヤマビルに悩まされながら、砂利道を片道1時間ほど歩かなくてはならない。
この道の一部は「小佐越新道」の一部となっている。幕末に開削されたこの道は、会津田島周辺の米、大豆、小豆などを今市に運び、帰りには塩を付けていく中付の生活道路であった。
工事着手前に測量が開始されたときにもこの周辺に民家は無く、草木が深く茂る山だった。そのため測量員たちは数十日の間テントに寝起きし、三角測量を行った。
上流の黒部ダムが「貯水」を目的としたダムであったのに対し、逆川ダムは「出力の調整」、すなわち電力需要が急に上昇した場合に発電所に落ちる水量を多くすることを目的として作られた。
小さなダムだが、黒部ダムからの流入や鬼怒川発電所への吐水により流れは渦巻くように激しく、金網によって立ち入りも厳重に管理されている。土木学会の「日本の近代土木遺産~現存する重要な土木構造物2000選 」に選定されている。
この道はゲートによって封鎖されているため徒歩で向かうしかないものすごく心細い道であるが、逆川ダムは東京電力が管理しているため、道自体はしっかりしている。
下の写真は逆川ダムに向かう途中にあるトンネルである。トンネル上部には見えにくいが「一号隧道」、奥のトンネルには「二号隧道」の文字がある。
ただし写真ではよくわからないがこの2つのトンネルは「真っ暗」で、あまり心躍るトンネルではない。何となく気味が悪いので、小走りで通過する。
下の写真は逆川ダムのそばにある高台である。人為的に平らに広く均されており、これが「鬼怒川水力電気案内図」に書いてある早川組事務所、石川医院、請願巡査駐在所が置かれていた場所かもしれない。
導水路の設置
黒部ダムの右岸に位置する青柳台地に設置された水路の取入口から藤原村の下滝発電所に至る導水路の総延長距離は約14.4kmで、25の隧道とこれらを連結する暗渠から成り立っていた。
・隧道 トンネル。山や地下などをくり抜いて設けられる施設。
・暗渠 水路のうち、土の中に埋めてある部分。
黒部ダムから右馬脊場(沢の名前)までの隧道は早川組が、右馬脊場から下滝までは大丸組が工事を担った。
現代でも川治温泉周辺をクルマで走るとき、「あの山中に栗山から鬼怒川温泉ホテルまでトンネルが通っているのか」と考えると信じられない気持ちになる
これらの大工事を完遂するためには、工事用資材を運ぶ道路の建設や電力の確保も大きな課題となる。
話が前後して申し訳ないが、次回はこれらの準備工事の様子を調べてみよう。
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