今市浄水場 (今市と宇都宮の水道の歴史 4)

 前回の続き。
 今回は日光市瀬川にある宇都宮水道の「今市浄水場」に向かった。

(5) 今市浄水場

 大正2年(1913) 11月に今市浄水場が着工された。翌年の大正3年(1914)7月31日に浄水場の事務所の建物が完成すると、翌日の8月1日より取水場や護岸、今市浄水場までの導水管の工事が始まった。導水管工事では、水量の多い用水路の下部に鉄管を通す工事や、日光杉並木街道の並木敷(並木の根を傷めないために、街路にしないで残してある土地)、及び併設する用水路を貫通する作業で困難を強いられた。特に杉並木では樹木の根を損傷しないように慎重に工事を進めたため、予定の工期より日数が費やされた。

 今市浄水場は冬期の工事中断期間や非常時の災害に備えた沈殿池の増設などを経ながら、各工事は順次竣工を迎えた。

  • 浄水場事務所 大正3年(1914)7月31日竣工
  • 取水口工事 大正4年(1915)4月15日竣工
  • 濾過池(3箇所) 大正4年8月23日竣工
  • 導水鉄管敷設 大正4年10月27日竣工
  • 浄水場沈殿池1 大正4年11月26日竣工
  • 浄水場沈殿池2 大正5年(1916)5月16日竣工
  • 浄水場正門 大正5年8月10日竣工

 次の写真は「宇都宮市水道百周年 下水道五十周年史」より引用した今市浄水場である。下部の「住吉町鍵屋書店発行」の文字が懐かしい。

今市浄水場の竣工(住吉町鍵屋書店)
出典:宇都宮水道誌

 次の写真は旧管理棟で、今は水道資料館となっている。赤い半切妻屋根をのせた可愛らしい洋館で、昭和60年(1985)には、歴史的価値があり、環境・景観的に優れた施設として厚生省企画による「近代水道百選」に選出された。

今市浄水場

今市地震

 昭和24年(1949) 12月26日に発生した「今市地震」によって今市浄水場や濾過池、宇都宮までの送水管は大きな被害を受けた。その頃行われていた導水管、配水管の増設工事と同時に復旧工事も行うことで、断水期間を最小限に済ませることができた。

 この今市地震によって、宇都宮の水道の100%を今市の一箇所のみに頼る構造に不安の声が上がることになる。後年、増加する宇都宮の人口と、豊かになっていく生活環境で増大する水道使用量を満たすため、宇都宮は新たな水源を求めていく訳だが、それはまた後日の話としよう。

 断水ついでの余談ではあるが、昭和36年(1961)3月15日、日光東照宮の薬師堂が焼失した際には大谷川に漆等の有機物が大量に流れ込み、ろ過が追いつかずに今市浄水場からの配水が止まってしまったこともある。

今市地震での今市浄水場の被害
出典:宇都宮水道誌

続く。

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