今市地震の爪痕(2) 金澤山と室瀬行川

ここで、室瀬地区の現在の地図を見てみよう。

金澤山ー室瀬
(ⅰ)金澤山に登る (ⅱ)金澤山のふもと (ⅲ)土砂崩れの様子

(ⅰ) 金澤山に登る

(ⅰ)が金澤山である。ここから北―北東方面に土砂崩れが発生した。
以下は「今市地方震災誌」から転載した地震発生後の金澤山と、現在の金澤山の様子である。

 現在の金澤山は植林が進んで、上記の写真では作業道が山の中腹まで続いているが、これは頂上には向かっていない。肝心の頂上に向けての道はもはや道とは言い難く崩壊している。登り始めてすぐロープとヘルメットを持たずに来てしまって後悔するような斜面であり、一人で登ることにも不安を覚えた(誘っても誰も一緒に登ってくれない山だが)。

 地震で崩れた側の斜面から頂上まで登ったGPS(下図)を見てみると、何度も立ち止まり、登れるルート(脚をついて踏ん張っても崩れない場所、つかんでも抜けなそうな草木)を確認して、それでも道がなくなって右往左往している様子がよく分かる。

 頂上には日光山紀行の山名板があり、北東方面に尾根が続いている。下山時はこちらを歩いてみると、これはまもなく激ヤブにかわり、倒木、枝、積もった枯れ葉、棘の生えた草木や深い沢に行く手を阻まれた。尾根だろうが平地だろうが、棘の激ヤブは歩けない。最後は覚悟を決めて、棘から身を守るために目や顔を覆って幾度となくヤブを突破し、眼下のアスファルト道路に飛び降りた。無茶である。

 県北の山々の登山をする人にとっては有名な「日光山紀行」の山名板。筆者は土砂崩れがあった北斜面から登ったが、ひょっとすると別方面にもっとまともな道があるのかもしれない。

また、頂上には太いワイヤーケーブルが残っている。この鉄索は、地震の修復を行うため、山の法面や護岸工事に使う岩をトロッコであげた跡である。これらの工事には囚人も使役された。ちなみに、宇都宮刑務所から送られてきた囚人たちは今市や山久保で作業を行ったが、都合4度ほどの脱走犯を出し、すべて捕縛されている。

太いワイヤーロープは護岸工事のトロッコの名残

続く。

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