今市浄水場と戸祭配水場をつなぐ送水管 (今市と宇都宮の水道の歴史 5)

 今市用水からの取水口、今市浄水場と、後の回で説明する戸祭配水場の建設開始と同時に、今市と宇都宮をつなぐ送水管の工事が行われた。今回は日光街道に沿って地中に埋設された送水管について調べてみよう。
 ちなみに水道管に関して今までにも何種類か文中にあったのだが、ここで一度整理してみよう。

  • 導水管… 取水口から浄水場までの管 (取水口から今市浄水場まで)
  • 送水管… 浄水場から配水場までの管 (今市浄水場から戸祭配水場まで)
  • 配水管… 配水場から蛇口までの管 (戸祭配水場から共用水栓または家庭の水栓まで)

今回は、「送水管」の埋設工事について調べた記事である。

送水管の敷設工事区域

 今市浄水場から戸祭配水場までの距離はおよそ26㎞であるが、日光街道に沿って地下に送水鉄管を埋設する工事は4つの区域に分けて行われた。

  • 第1区域 … 今市浄水場から今市町大字今市と大沢村大字森友の境界まで
  • 第2区域 … 今市町大字今市と大沢村大字森友の境界から石那田の第五接合井まで
  • 第3区域 … 第五接合井から上金井の第六接合井まで
  • 第4区画 … 第六接合井から戸祭配水場まで

 大正3年(1914)3月13日に開始された配水鉄管埋設工事は、第2区域の石那田の田川を跨ぐ田川橋(現・田川大橋)付近から今市に向けて開始された。

 配水鉄管は宇都宮で検査を完了させてから鉄道で今市駅まで運び、そこからは荷馬車で工事現場まで運ばれ、100mほどずつに埋設工事が進められていった。工事は順調に進捗したが、同年8月頃、途中の大沢村の水無と森友は夏季に湧き水が多い上に街道が狭く排水溝を設けることができなかったため、この場所での工事は月6日に一度中断した。

 二日後の大正3年(1914)9月8日よりは今市町との境界から第1区域の工事を開始し、これは何の支障もなく同年10月6日に今市浄水場までの配管を完成させた。

 同年大正3年10月7日からは中断した第2区域の工事を再開した。相変わらず湧き水は多かったが、隣接した山林所有者の許可を得て湧き水を山林に排出することが可能になり、12月10日に田川を横断する配管を除いた第2区域の工事を完了させた。

日光市山口の宇都宮市水道
出典:宇都宮水道誌

 同年の大正3年(1914)12月14日からは第3区域の工事が始まった。当時篠井村の石那田の第五接合井から始まった工事は篠井村に属する地域は村民の協力を、富谷村に属する地域は同村の青年団の協力を仰いで、大正4年(1915)3月1日に工事は完了した。

水道敷設の様子
出典:宇都宮水道誌

 第4区域の工事は第3区域と並行して行われ、大正3年(1914)12月23日より戸祭配水場から第六接合井に向けて埋設工事が開始され、大正4年(1914)7月9日に工事は完了した。

 すべての区域の配管埋設が完了した後、大正4年(1915)7月7日、合計六箇所に設計された接合井の建築が開始された。第一号接合井から順に始められた建築工事は同年12月28日に完成し、また田川を跨ぐ水道管橋の工事は9月12日に着工し、12月7日に完了した。

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