日光市の廃校を巡る

はじめに

 昔は子どもが多かったという。
 私は第二次ベビーブームの頃に生を受けた。子どもの頃、住んでいる町内の育成会だけでも50人程度の小学生がいた。学校では「起立」の声で立ち上がると、後ろの机に椅子がぶつかってしっかり起立できない程に一クラスの人数が多く、そしてクラス数も多かった。郊外には新たな住宅地が造成された。さらに校舎は手狭になり、登下校を含めた学習環境の改善のため、昭和後期になると今市市立東原中学校や南原小学校が新設され、既存の小中学校は新しく大きな鉄筋校舎に建て替えられた。

 今は子どもが少ないという。
 ここ最近、日光市では幾つかの小中学校の統廃合が進んでいる。記憶に新しいところでは令和2年(2020)に所野小と野口小、令和4年(2022)には小百小学校が近隣の小学校に統合され、令和5年3月いっぱいでの栗山小中学校の閉校と、令和6年3月で清滝小学校と安良沢小学校の統廃合も発表された。
 ちなみに、最後に日光市に新設された学校は昭和62年(1987)設立の今市市立南原小学校である(実は一番最近に新設された学校は平成17年(2005)の栗山小であるのだが、日向小と栗山小が両校とも廃校となり、新しく栗山小としたということなので、今回は完全に新規設立の南原小を挙げさせていただいた)。それ以降、日光市の小中学校は新設はされず、統廃合のみを繰り返すことになる。

 既存の各校を見渡してみると、多くの学校では各学年には一クラスしかなく(もしくは一クラスもなく)、使われていない教室も多いという話を聞く。いわゆる部活動では近隣校と合同チームを組まないとメンバーが足りない状態である。それもそのはず、私の住んでいる町内の育成会は現在、ほんの数人の小学生しかいない。

 子どもどころか青年も少ない。たいていの町内に於いて青年会の定年は徐々に引き上げられ、50歳以上となっているところが多い。一般的に言って「青年」と呼ぶには幾分抵抗がある年代の面々が、20年も同じ顔ぶれでお祭りの神輿を担ぐ。従って、20年前に比べ神輿は高く上がらず、直会は少々活気に欠ける。

 さて、栃木県内を学校数と生徒数を調べてみると、昭和50年(1975)から平成31年(2019)の44年の間に、栃木県内の小学生の数は約半分、小学校の数も2割ほどの減となっている。

 以下は2020年1月の下野新聞の記事である。

 「日光15校、入学5人以下 山間部、統廃合も難しく。20年度、全県では31小中校。」

 2020年度に入学予定の児童生徒が5人以下なのは31校に上り、うち約半数の15校が日光市に集中していることが分かった。次に多いのが4校の鹿沼市で、上都賀地区が全体の61%を占めた。両市は学校の統廃合を進めるが、通学距離などの問題から特に山間部の学校で統廃合が進みにくい状況にある。

 県教委は入学予定者数5人以下を「入学予定者の少ない学校」と定義し、これまで13、17年度が最多の37校だった。近年は徐々に減少傾向にあったが、県教委は「学校の統廃合が影響している」と分析する一方、「スクールバスの配備が必要な場合もあり、山間部で統廃合が進みにくい側面もある」としている。

・2020年度入学予定者が5人以下の小中学校

<日光市> 三依小、湯西川小、栗山小、小百小、中宮祠小、小来川小、轟小、清滝小、安良沢小、足尾小、三依中、小来川中、湯西川中、栗山中、中宮祠中

下野新聞 2020年1月

 小学校の数が減ったことはわかったが、そのほとんどが日光市に集中しているのだ。この記事の中では、平成17年度をピークに入学予定者が少ない学校は減少している旨の記述があるが、それは「もう統廃合が進み、これ以上はちょっとどうすることも出来ないかもね」という少々悲しいニュアンスが含まれている。

 今回は、日光市の廃校になった跡を訪ねてみる。当時と現代の比較地図を掲載し、年表を調べてみたが、開校年度や校名は、調べた資料により幾分違う箇所があった。これは資料の少なさや間違いもあるかもしれないし、「開校許可が下りた日」「民家等で仮開校した日」「実際に開校式を行った日」など、いろんな解釈の違いがあるのかもしれない。

 今回の重要視したのは「廃校の跡を訪ねること」であるため、年表の齟齬については深く掘り下げていない。

 補足となるが、明治期から続く学校の歴史を語る上で、いわゆる6-3-3制になれた我々は、尋常小学校とか高等小学校と言われてもピンと来ないところがある。明治5年に制定された学制、続いて明治19年制定から幾度かの変更が加えられた小学校令、その後の国民学校令、学制改革と小学校に関する法律は変わっていくが、概ね、「尋常小学校を6歳で入学し、高等小学校を14歳で卒業する」と考える。現在でいうと、中学2年生の年齢で高等小学校を卒業するということになり、その後は旧制の中学校(現在で言う高校)に進学するということになる。

 「ここに昔、学校があって、子どもたちが通っていたんだな。」

 実際に立って歩いて見える景色。変わったもの、変わらないもの。そんなノスタルジーに重きを置いて発表する。

※この発表は今市史談会会報「今市史談」上で発表したものに加筆訂正を加えたものである。

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