日光街道を歩く08 第5日目

古河宿ー野木宿ー間々田宿ー小山宿

2019.02.05
東武新古河駅ーJR宇都宮線小山駅
距離29.68 km 時間7:36:06 高度上昇76m

5日目。見どころいっぱいの古河から歩きはじめ、いよいよ栃木県に入る。まさに関東平野というべきか、遮るもののない道中は遠くからずっと男体山が見える。信仰の山となったのも頷ける。

古河宿

 日光街道の宿場町であるとともに古河城の城下町でもあった古河は、非常に見るべきものが多い。歴史の案内板も豊富で、それらを立って眺めていると、2回も知らないおじさんから声をかけられた(どこから来たの、何を調べてるの、それならあそこも行ってみなさい云々)。

雪の結晶

 「雪は天から送られた手紙である」とは雪の結晶の実験で多大な功績をあげた中谷宇吉郎の言葉である。中谷が雪の結晶に興味を持つに至ったのは、古河藩主・土井利位が拡大鏡で雪を観察して、天保3年(1832)に上梓した「雪華図説」を見たことがきっかけだったという。

 そのためか、古河市の小中学校の校章はすべて「雪の結晶」をアレンジしたものとなっている。

正定寺

 寛永10年(1633)、古河城主・土井利勝が創建した。正定寺は土井家一族の菩提寺で、寺内に歴代の墓が現存している。

雀神社

 貞観年間(859-877)に出雲大社から勧請したという。かわいい狛犬は元禄14年(1701)に奉納された。

古河の道標

 常夜灯の道標。八百屋儀左衛門ほか11名によって文久元年(1861)に建立された。小山霞外(かがい)、梧岡(ごこう)、遜堂(そんどう)と親子孫三代の書家が揮毫した。

 道路の拡幅のたびに何度か場所が変わっている。

塩滑地蔵

 病気や怪我をした庶民が平癒を祈願した地蔵尊。砂岩でできているため溶けているようにも見える。堂の前に置かれた塩を身体の悪いところに擦り込むと回復すると言われる。回復のお礼は塩を奉納するという。

野木神社

 延暦21年(802)に征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷討伐の戦勝祈願を行った。

 フクロウの親子が境内に住み着き子育てを行っている。初夏になるとカメラマンが押し寄せ、運がよければモフモフの赤ちゃんを見ることができる。

 僕がカメラを担いでいったときには、巣穴から出てきてくれなくてうまく撮れなかった。

野木宿

 真っ直ぐ続く国道4号線の左右に本陣跡、脇本陣跡の案内板があるのみで、宿内にあった一里塚も今はない。

野木宿道標

 「是より大平山道」と大きく書かれた石碑と案内板がある。栃木市の太平山神社への案内を示したものであるが、道祖神としての役割も果たしている。

友沼八幡神社

 かつて境内には運西庵と呼ばれる建物があり、日光社参の際に古河宿を発った大名が最初に小休止をした場所となった。江戸時代には遠く筑波山も眺められた景勝地であったが、今は住宅地となり、展望はかなわない。

乙女の一里塚

 18番目の一里塚。野木町から町境を越えてすぐに、西側のみ残っている。

若宮八幡神社

 宝永6年(1709)作の大きな大日如来像が境内にある。現在は覆屋が建てられているが、以前は屋根がなく、「濡れ仏」と言われていた。鳥居も備える神社であるが、昔の神仏習合の名残が伺える。

間々田宿

 日光街道が整備されたときに、「飯田(ままだ)」と呼ばれていた地名が、江戸と日光の中間ほどにあるということで「間々田」と表記されるようになった。昔の人の言葉遊びだったのだろうか。

 街道がほぼ南北に走る間々田宿や新田宿は、本陣、脇本陣が街道の西側に設けられた。これは冬の厳しい北西の風に対し、風上になるよう配慮されたと言われる。

 日光街道もここからが後半戦になる。

泉龍寺(乙女不動)

 寺地は何度か移動を重ね、日光道中分間延絵図では日光街道沿いに描かれていたが、道路拡張や墓の移転などの諸事情が重なり、現在地に移転した。境内の乙女不動尊は、中禅寺湖に現れた尊像を背負ってここにたどり着いた僧が安置したと伝わる。

龍昌寺

 慶長11年(1606)に華翁玄芳禅師が開いた曹洞宗の寺。慶安4年(1651)、家光の遺骸を日光廟に移す際に安置所が設けられた。この御霊屋は日光道中分間延絵図にも描かれているが、今は無い。

 境内に入ってすぐ左手にあるのは寝起不動尊。床下には竹で編まれた蛇籠がこの堂を巻いているが、これは「ジャカマイタ(間々田の蛇踊り)」という祭のときに使用されるものである。

間々田八幡宮

 天平年間(729-749)の勧請と伝わる。日光東照宮の改修を手がけた職人による彫刻が見られる社殿がある。毎年5月5日は、400年続く奇祭「ジャガマイタ」が行われる。程よい風雨と悪霊退散を願う祭で、沢山の観光客で賑わう。

 蛇が巻いた、もしくは蛇が参った、と言われる大きな掛け声で、各町内から集まった7匹の蛇籠が宮内を練り歩く。

千駄塚古墳

 鶏の掛け軸で有名な「牧の長者伝説」が残る千駄塚古墳。墳頂部には浅間神社が建っている。近くから墳墓も発掘されているため、この塚は6世紀頃の古墳ではないかと言われているが、未発掘である。

安房神社

 平安時代に纏められた延喜式神名帳に名を連ねる古社。池の島には水神も祀られている、日光道中分間延絵図では粟宮明神と書かれている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました