今市市

日光市の郷土史

小休戸の延命地蔵尊と斎藤家

拙ブログでは今まで複数回に渡り小休戸について記事に取り上げてきた(「小百小学校小休戸分校」「小休戸の鹿地蔵」、「鬼怒川水力電気」など)。 今回は小休戸集落のなかでも、書き漏らしていた有名な小休戸延命地蔵尊と斎藤家住宅について書きたいと思う。...
今市史談会

今市小学校の石碑

さて今回は我が母校である今市小学校についてである。 今市小学校に通った方なら校門のところにそびえ立つ大きな石碑の存在をご存知であろう。  随分と前にこの石碑を眺めた時に、漢字がずらりと彫られた石碑の正面に「今市町」「渡邊佐平」の文字を読むこ...
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 08 完 (犠牲者を悼む碑)

犠牲者を悼む  今回は鬼怒川水力電気㈱の建設工事で犠牲になった人々の供養の跡を辿ってみよう。 鬼怒川水力電気大丸組配下傷病死者供養塔(旧・藤原町)  鬼怒川温泉大原の日光市立藤原中学校から旧道に入ってすぐの墓地の一角にひっそりと立つ「供養塔...
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 07 (巨大工事がもたらした光と影)

明治から大正時代にかけて、ほんの数年で完成して東京までの送電を開始した「鬼怒川水力電気株式会社」。当時東洋一と言われた規模のダムを作るために工事に従事した人数は常時6,000人とも8,000人とも言われ、それらの人々が短期間に今市町、藤原村...
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 06 (電源の設置、軌道と鉄索)

さてこれまで、「黒部堰堤」「下滝発電所」「逆川ダム」とそれらをつなぐ「隧道」の工事の様子を辿ってみた。それによって鬼怒川水力電気の工事のおおよその位置関係が掴めたと思う。 今回は、それらの主な工事の「下準備」にあたる工事について調べてみる。...
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 05 (下滝発電所、逆川ダム)

前回まで、鬼怒川水力電気㈱の設立と、黒部堰堤(ダム)について調べたことを発表した。 今回は当時の塩谷郡藤原村大字下滝に建設された「下滝発電所」とそれに付随する工事について調べる。 大正時代の鬼怒川水力電気地図。緑の点線は水道管を埋めた隧道。...
日光市の郷土史

小休戸の鹿地蔵

鹿地蔵  拙サイトにも何度か登場している今は無住の集落である「小休戸」。 今回はその集落内にある「鹿地蔵」をご紹介したいと思う。  この写真は小休戸集落に唯一残っている斉藤家の建物である。無住であり、いつもはしっかりと扉が閉められているが、...
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 04 (黒部堰堤・黒部ダム2)

鬼怒川水力電気の工事の簡易年表 (地理院地図を利用して作成) 黒部ダムの竣工 鬼怒川水力電気案内図  さて、東京に向けての送電が開始された後の大正2年(1913)9月16日、黒部ダムがようやく竣工した。完成したダムは当初の予定より小規模のも...
日光市の郷土史

川岸の不思議な遺構

現在、今市の大谷川流域では川岸の樹木の伐採が行われている。これは主に河川の流れを阻害する土砂や樹木を取り除くことが目的である。 大谷橋の上から見ても並木大橋の上から見ても水郷橋の上から見ても、川岸はきれいさっぱり樹木が伐採され、長年見てきた...
日光市の郷土史

倉ケ崎の会津西街道の古道

今回は、栃木県日光市(旧今市市)の倉ケ崎ー大桑周辺の「会津西街道」の古道について調べた記事である。我ながらかなりマイナーな記事だなとは思うのだが、考えてみれば今まで一度もメジャーでワールドワイドな記事なんて書いたことがなかったことに気づいて...
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 03 (黒部堰堤・黒部ダム1)

黒部ダム(黒部堰堤) 注:和暦について説明する。鬼怒川水電の工事は明治44年(1911)から大正2年(1913)までが主な時期となる。明治45年(1912)は7月30日より年号が大正に切り替わる。  よって、明治時代の人の発言で「来年の大正...
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 02 (工事の起工)

発電所建設の過程  鬼怒川水電の工事は、着工に至る前に様々な土地や水利権の買収、賃借契約などを済ませなければならなかった。栃木県の鬼怒川上流は水力発電に有利な条件を備えているということで、ほとんど人が住んでいない場所にも関わらず、発電用の水...
街道

道路元標

ひと月に最低一つは記事をアップロードしようと思っているのだが、今調べていることは話が大きくなりすぎてまとまっていない。 仕方がないと言っては何だが、日光市の「道路元標」についてお話しよう。 道路元標とは  大正8年(1919)の旧道路法では...
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 01 (鬼怒川水力電気の設立)

東洋一の水力発電所  今市から国道121号線を鬼怒川温泉方面に向かい、日光市立藤原中学校の先の跨線橋を通ると、ちょうど正面右手の山に見えるのが「東京電力リニューアブルパワー㈱ 鬼怒川発電所」である。 これは栗山村(現・日光市)の黒部ダムを水...
今市地震

今市用水の改良問題 (今市と宇都宮の水道の歴史 9)

さて、ここまで説明した「宇都宮水道の拡張事業」、「今市町上水道敷設」とほぼ同時期に行われた大きな事業が、「今市用水の改良問題」である。  この章では、昭和23年(1948)から昭和28年(1953)にかけて起こったことを調べてみる。 今市用...
日光市の郷土史

今市町上水道敷設 (今市と宇都宮の水道の歴史 8)

ここまで大正5年(1916)に給水を開始した宇都宮市の水道と今市の関連について調べたが、この章からは時代が下り、昭和20年代の話となる。 今市の上水道敷設の機運  皆さんは聞いたことがないだろうか。  「今市浄水場は宇都宮のものなんだよ。昔...
今市地震

戸祭配水場 (今市と宇都宮の水道の歴史 7)

「配水場」とは浄水場より配水管を通ってきた水を各蛇口まで導く役割をもち、何かのトラブルで浄水が一時的に止まってしまった場合でも安定して配水できるように、「配水池」として浄水をためておく役割も持つ。  この章では戸祭山に築かれた「戸祭配水場」...
日光市の郷土史

第六号接合井 (今市と宇都宮の水道の歴史 6)

第六号接合井  今市から宇都宮に向かって日光街道を進むと、徳次郎(とくじら)を過ぎて富谷小学校の少し先の左手に、写真のような建造物がある。 宇都宮市水道 今市水系 第六号接合井  なかなか趣のあるこの赤煉瓦の建造物、これが今回のテーマである...
今市地震

今市浄水場と戸祭配水場をつなぐ送水管 (今市と宇都宮の水道の歴史 5)

大正時代から昭和にかけて、今市町と宇都宮市を結んだ水道について調べた。
今市地震

今市浄水場 (今市と宇都宮の水道の歴史 4)

大正時代から昭和にかけて、今市町と宇都宮市を結んだ水道について調べた。