鬼怒川水力電気 02 (工事の起工)

発電所建設の過程

 鬼怒川水電の工事は、着工に至る前に様々な土地や水利権の買収、賃借契約などを済ませなければならなかった。栃木県の鬼怒川上流は水力発電に有利な条件を備えているということで、ほとんど人が住んでいない場所にも関わらず、発電用の水利権は分割されて有力者に押さえられていた。
 鬼怒川水電はこれらの土地や水利権を買収し、工事に必要な土地の賃貸契約を結んだ。権利者のうちの数人は鬼怒川水力電気株式会社の創立委員となった。下図の創立委員の中で「大田黒重五郎」「白杉政愛」「久野昌一」がそれである。
 また、「岩下清周」は北浜銀行の頭取であり大阪財界の立役者として大きな勢力を誇った人物で、鬼怒川水電の株式に対する融資の多くを引き受けた、利光鶴松にとっては大の恩人である。

鬼怒川水力電気株式会社証拠金払込広告

 そしてこの買収によって、取水場や調整池、発電所の位置が変更調整され、貯水池として「黒部堰堤」、調整池として「逆川(さかせがわ)堰堤」、発電所として「下滝発電所」の場所が最終決定された。

工事の開始

 明治43年(1910)12月、工事用機械や昼夜兼行で行われる工事用の電灯、電力のために、各工事地に向けて送電線や電話線が設置され、各工事地でほぼ同時に工事が起工された。
 他所のダム発電所建設では工事地のそばに電源を設置することが多かったが、今回の工事地は深淵な渓谷で行われるため、万が一故障した際にそれを修理することの困難が予想された。
 そのため、下野電気会社日光発電所から電線を通し、工事用の電力を確保した。
 同時に、工事地周辺は「道路」と呼ぶには少々抵抗のある山道しかない所がほとんどだったため、工事用の道路の敷設も行われた。
 この電源と道路については後の章で詳しく書きたいと思う。

 工事に先立ち行われたものでは、測量員による三角測量がある。測量は水平距離はもちろんのこと、高低差を図ることも非常に重要である。これに誤差があると、両端から掘られた隧道が合流地点で結びつかなくなってしまう。人が立ち入らない山奥に分け入り、ある時は決死の覚悟で崖を登坂し、再三再四と測量を繰り返して一厘の誤差もないように注意深く測量が行われた。

 鬼怒川水力電気の建築工事は以下の過程から成っており、これらがほぼ同時に起工され始めた。

  1.  工事用資材を運搬するための「馬車軌道(レール)」や「鉄索」を設置し、下野電気会社日光発電所より各作業場まで電気を通す。
     今市から藤原村の小原まで馬車軌道が通され、小原から逆川まで鉄索が、さらにそこから田茂沢まで鉄索が通された。
     軌道は途中の大桑で分岐され、日光市小百の先の一本杉まで通された。一本杉からは小休戸を経由して黒部までは鉄索が通された。今市から藤原村の小原まで馬車軌道が通され、小原から逆川まで鉄索が、さらにそこから田茂沢まで鉄索が通された。
  2. 「黒部堰堤」(黒部ダム)
    栗山村の鬼怒川本流を堰き止め、ダムを造って貯水池とする。一年を通じて安定的に水を供給することが目的である。
  3. 「下滝発電所」
    藤原村下滝に水力発電所を建設する。東京市の尾久変電所まで送電線を架設する。
  4. 逆川さかせがわ堰堤」(逆川ダム)
    発電所のそばに「逆川さかせがわ堰堤」を建築する。逆川堰堤は出力調整用であり、必要に応じて発電所に流れ落ちる水量をコントロールすることが目的である。
  5. それらの施設を繋ぐ隧道(水路。14.4km)を建設し、河水を流す。中間地点に当たる「田茂沢」には建設事務所が置かれた。

 さて、鬼怒川水電の工事の範囲と主要拠点を地図に落とし込んでみよう。日光に住む我々でも「下滝発電所」と「黒部ダム(当時は黒部堰堤)」、「逆川さかせがわダム(逆川堰堤)」と言われても、位置さえあやふやな方が多いだろう。改めて地図で見るとその規模の大きさがわかる。
 以下の地図は主要な工事の現場と水の流れである。
 水色の実線は「鬼怒川の本流」である。画面左側の鬼怒沼から流れてきた鬼怒川は、現代で言うところの鬼怒川温泉から高徳を流れ、日光市大渡と塩谷町船生で大谷川を合わせ、さくら市や宇都宮市を流れて小山市で田川を合わせ、千葉県で利根川と合流する一級河川である。
 青色の点線は、黒部ダムから地下の隧道を通り、下滝発電所まで通る河水の流れである。
 ここで、着工当時は「堰堤えんてい」と呼ばれた各施設は、以後「ダム」と統一して記す。

 工事資材は極めて大きなものから小さなものに至るが、まずは鉄道を利用し、明治23年(1890)に開業された今市停車場(日本鉄道会社日光線、現・JR日光線の今市駅)に集められた。
 そこから広大な各地の工事現場までは馬や牛を利用した軌道、鉄索、さらには人力によって運搬された。

余談。源泉の新発見。

 余談ではあるが、鬼怒川の河水を「黒部で取水して下滝まで地下トンネルで運び、発電したあとに放水する」ということは、すなわち「黒部ー下滝」間の河水の量が減るということである。水量と水圧が減った鬼怒川温泉周辺では、川床からいくつかの新しい源泉が吹き出し大騒ぎとなった。これも鬼怒川温泉の発展の一因となった。

ダムと発電所の位置関係

鬼怒川水力電気案内図
鬼怒川水力電気案内図

 先程の地図に、馬車軌道や索道を書き加えてみた。
 上が大正元年測図のもの、下は現代の地図で、軌道、鉄索、隧道はおおよその位置である。

  • 緑の実線は「馬車軌道」である。今市から大原、一方は大桑から一本杉まで軌道が通った。
  • 橙色の点線は「鉄索」である。急峻な山道は鉄索によって資材が運搬された。
  • 青の点線は「隧道」である。黒部から下滝まで地下を通る水道管。
大正時代の地図
今昔マップon the webを引用して作図
現代の地図
地理院地図を引用して作図

次回からは、各地の様子を見てみよう。

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