小休戸の鹿地蔵

鹿地蔵

 拙サイトにも何度か登場している今は無住の集落である「小休戸」。
 今回はその集落内にある「鹿地蔵」をご紹介したいと思う。

斉藤家 小休戸

 この写真は小休戸集落に唯一残っている斉藤家の建物である。無住であり、いつもはしっかりと扉が閉められているが、ご覧のとおりごく稀に扉が開いている時がある。おっかなびっくりに「こんにちは…」と中に声をかけてみても誰もいない。おそらく管理されている方がいて、たまに換気や点検を兼ねてここを訪れているのだろう。

 その斉藤家から今市方面にほんの数メートル歩くと、傍らに小さな石仏(?)がある。これが「鹿地蔵」である。

鹿地蔵 小休戸
鹿地蔵 小休戸

 陽刻された可愛らしい鹿と、「願主 手塚又吉」「弘化二巳(1845)二月吉日」の文字がしっかりと読める。

 「鹿地蔵」と書いて、地元小百の方々は「ろくじぞう」と呼んでいた。京都の金閣寺の正式名称である「鹿苑寺(ろくおんじ)」の「鹿(ろく)」である。
 ただし一般的に「ろくじぞう」と聞けば誰しも「六地蔵」を思い起こすだろう。僕もそのため、地元の方々に話を伺っていた最初の方は、「なんで六道の思想に基づいた6体の地蔵菩薩から鹿に話が飛ぶんだろう」とちんぷんかんぷんだった。

 この鹿地蔵には次のような昔話が語り継がれている。なにぶん立ち話で伺った話であるし、口伝で伝わってきた話なので、細かいところは色々違うのかもしれないが、大まかな筋は以下の通りである。

 昔々、小百に手塚某という年老いた猟師が住んでいた。彼はたいへん腕がいい猟師として有名で、大笹峠の山に分け入って鉄砲で獲物を狙っていた。動物たちは手塚をたいへん恐れ、手塚の足音や匂いを少しでも感じると一目散に巣穴に逃げ帰るほどだった。
 しかし彼は老いのためか、もうしばらくの間全く獲物を捉えることが出来なかった。今日も山中を歩けど歩けど、動物は見つかるが彼の鉄砲玉はことごとく狙いを外した。そのうち彼は持ってきた弾を全て使い果たし、諦めて小休戸まで下りてきた。
 手塚は小休戸の旅籠(斉藤家)の軒先に腰掛け、「もう自分もここまでだ、今日を限りに猟師を引退しよう」とポツリと漏らした。
 するとどこからか立派な角を生やした大鹿が目の前に現れ、すぐ近くから彼の方を静かに見ていた。大鹿は彼の心の内に語りかけた。
「あなたも生活のために猟師をしていましたが、今日限りで引退する決意とのこと。長い間お疲れ様でした。」
 手塚は呆然と大鹿を眺めていたが、胸から下げているお守り代わりの小袋の中に一発だけ弾が入っているのを思い出した。彼は急いで小袋から弾を取り出すと、素早く銃に込めて近くにいた大鹿を撃った。
 弾は大鹿に命中し、鹿はドッと倒れ絶命した。するとその周囲に、一匹、二匹と狐、くま、うさぎ、たぬきなどのたくさんの山中の動物が集まって来た。
 大鹿は山の主だったのだ。
 すると突然暗い雲が大空を覆い、雷の大きく重い音が空気を揺さぶり、滝のような大粒の雨が降り出して激しく地面を打った。動物たちは大鹿の死を悲しんでいた。
 手塚は自分のやったことに愕然とした。条件反射で撃ってしまったがなんと愚かな事をしてしまったのか。彼は心から悔やみ、泣きながら大鹿に謝った。
 彼はそれ以降二度と鉄砲には触らず、自らに殺生を戒めた。そして大鹿が現れた場所に鹿地蔵を建立し、霊を弔ったという。

 以上が自分が聞いた「鹿地蔵」物語である(口伝ゆえに、僕も多少の脚色をしていると考えられるが)。

 すぐとなりにはやはり小ぶりな「鹿供養碑」が並んでいる。こちらは見た目からしてそれほど古いものではないと思われる。
 どちらにも新しいミカンと神酒などがお供えされている。今も近隣の方々から大切にされているのがよくわかる。

鹿地蔵 小休戸

江戸時代に苗字?

 さて、話を伺っているときから僕は「江戸時代に猟師が手塚という苗字を持っていた」ことが気になっていた。苗字や帯刀を特別に許された名主等ならともかく、一猟師である。
 家に帰って早速しらべてみると、「レファレンス共同データベース」に以下のような説明を見つけた。

江戸時代の庶民は武士の前では苗字を使えなかったが、苗字を持たなかったのではなく、下層民や新興の住人らを除くと、村の中や庶民どうしの間では堂々と苗字を名乗っていた。
『庶民家族の歴史像』『苗字の歴史』『苗字と名前の歴史』より

苗字は名字に由来し、名字は領地の地に由来するので、領地を持たない庶民に名字はなかった。しかし、氏族に従属していたということで、大和時代から全ての人が氏名(うじめい)を名乗っていた。江戸時代にも氏名私称は許され、庶民は名字ではなく氏名をもっていたが、権力側からの圧力により、公称を自粛した。

『苗字と名前を知る事典』より

なるほどねぇ。何かを調べるときに新しく出てきた疑問が、色んなことを教えてくれるものである。

 この周辺には、かの有名な「まんが日本昔ばなし」で紹介された「五郎びつ」もある。用事がなければなかなか通る機会もない道であるが、ぜひ往時の賑わいを感じながら散策されてみてはいかがだろうか。

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