ひと月に最低一つは記事をアップロードしようと思っているのだが、今調べていることは話が大きくなりすぎてまとまっていない。
仕方がないと言っては何だが、日光市の「道路元標」についてお話しよう。
道路元標とは
大正8年(1919)の旧道路法では各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされていた。さらに大正11年(1922)に、道路元標の形状、規格、材料など細目が規定された内務省令が発布され、当時1万2千以上あった各市町村の自治体中心部に設置が始められた。
大正時代に設置された道路元標の大きさは、縦横25センチメートル、高さ約63センチメートルの直方体で、一般に頂部が弧を描くように丸く削られた形状をしており、今市町道路元標もこれにあたる。
日光街道と会津西街道の交点に設置されている。
尚、県内に残存する道路元標は40数基のみである。
日光市内の道路元標
現在、僕が確認できているだけで日光市内には4つの道路元標が残っている。
今市町道路元標
日光街道と会津西街道の交点
日光町道路元標
日光市山内。日光橋を渡った突き当り周辺
落合村道路元標
日光市小代の「丸本イトウ」さんの前
足尾町道路元標
通洞駅のそば。植木鉢等に隠れていて見つけにくい。
今市のそばだと船生、玉入にも残っているし、鹿沼町道路元標に至っては鹿沼市文化活動交流館に展示されている屋根付き空調付きのVIP待遇である。
今回はこんなところで。
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