川岸の不思議な遺構

 現在、今市の大谷川流域では川岸の樹木の伐採が行われている。これは主に河川の流れを阻害する土砂や樹木を取り除くことが目的である。
 大谷橋の上から見ても並木大橋の上から見ても水郷橋の上から見ても、川岸はきれいさっぱり樹木が伐採され、長年見てきた景色は一変し、「川床はこんなふうになっていたのか」と興味深い。

大谷川の川岸
ちょっと前まで樹木が密集していた大谷川の川岸

 さて先日、並木大橋のあたりをランニングしていた時、川岸に不思議な建造物(?)を発見した。それが以下である。

大谷川の川岸
大谷川の川岸

 亀の甲羅のような形に人為的に石が積まれたこの不思議なものが、堤防下の川岸に複数個見られる。これは樹木が伐採された今しか見られないものである。これはいったい何なのだろうか。
 ひょっとするとこれは古代人が住んでいた住居跡なのではないか。いや、そんな訳はない。


水制 

 この工事を主管している砂防事務所に尋ねたところ、これはおそらくは「水制」を作った名残りではないかということだった。

 水制とは岸から河川に向かって伸びているのが特徴で、目的や形状は幾つかあるが、これを設置することで水の主流が岸に当たることを防ぎ、河岸を守る効果がある。

 もう一つの役割としては、水制の周囲には速い流れや緩やかな流れなどの緩急ができ、魚や水中昆虫などにとって暮らしやすく、増水時には避難できる場所にもなる。


 この岩の人工物を見たときには「はるか昔の何かの遺構だったりして」と思ったのだが、これはおそらく昭和50年(1975)前後にこの大谷川の川床の大改修があった際に作られたか、もしくは当時既に設置されていたものを残しておいたのではないか、ということであった。
 なるほど、近くの床固とこがためには以下の写真のような銘板があった。

大谷川堤防の銘板

 ちなみにこの「水制」と大谷川の本流まではおよそ80mくらいの距離がある。どうせ作るならもっと近くに作ればいいのにとも思えるだろう。
 この「水制」から想像できることは、昔はこのあたりまで水が来ることを想定していた、もしくは、この場所を川が流れることは珍しいことではなかった、ということである。でなければ、本流からこんなに離れたところにわざわざ石を積む理由はない。

 昔から大谷川は何度も氾濫を繰り返して沿岸住民に大きな被害をもたらしてきた。大谷川は増水の度に流れを変え、そのため灌漑用水の取水も容易ではなかったと伝わる。今でも字名や通称で、昔は水害に悩まされたのだろうと推察できる地名も残っている。

 春になり、またこの周辺が草木に埋もれてしまう前に、一度川辺を散策されてみてはいかがでしょうか。

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