日光市の郷土史 高原新田宿と川治温泉 1 皆さんは「日光市の高原(たかはら)」と聞くと何を思い浮かべるだろうか。僕は「高原大根」だった。鶏頂山の中腹に鶏頂開拓があり、メイプルヒルスキー場の側、すなわち雪がたくさん降る、というくらいの知識しか持ち合わせていなかった。 今回は高原新田宿... 日光市の郷土史街道
日光市の廃校 川治小中学校(川治小学校・高原尋常小学校) (旧藤原町の廃校06) 今回は平成22年(2010)に廃校となった日光市立川治小中学校について調べてみた。 まず始めに、今回の川治小中学校について調べるために、川治在住の郷土史研究家であられる大塚健一郎氏に極めて多大なご協力を頂いた。今回の僕の発表は、大塚氏が記... 日光市の廃校
日光市の郷土史 小休戸の延命地蔵尊と斎藤家 拙ブログでは今まで複数回に渡り小休戸について記事に取り上げてきた(「小百小学校小休戸分校」「小休戸の鹿地蔵」、「鬼怒川水力電気」など)。 今回は小休戸集落のなかでも、書き漏らしていた有名な小休戸延命地蔵尊と斎藤家住宅について書きたいと思う。... 日光市の郷土史
今市史談会 今市小学校の石碑 さて今回は我が母校である今市小学校についてである。 今市小学校に通った方なら校門のところにそびえ立つ大きな石碑の存在をご存知であろう。 随分と前にこの石碑を眺めた時に、漢字がずらりと彫られた石碑の正面に「今市町」「渡邊佐平」の文字を読むこ... 今市史談会日光市の郷土史
鬼怒川水力電気 鬼怒川水力電気 08 完 (犠牲者を悼む碑) 犠牲者を悼む 今回は鬼怒川水力電気㈱の建設工事で犠牲になった人々の供養の跡を辿ってみよう。 鬼怒川水力電気大丸組配下傷病死者供養塔(旧・藤原町) 鬼怒川温泉大原の日光市立藤原中学校から旧道に入ってすぐの墓地の一角にひっそりと立つ「供養塔... 鬼怒川水力電気
鬼怒川水力電気 鬼怒川水力電気 07 (巨大工事がもたらした光と影) 明治から大正時代にかけて、ほんの数年で完成して東京までの送電を開始した「鬼怒川水力電気株式会社」。当時東洋一と言われた規模のダムを作るために工事に従事した人数は常時6,000人とも8,000人とも言われ、それらの人々が短期間に今市町、藤原村... 鬼怒川水力電気
鬼怒川水力電気 鬼怒川水力電気 06 (電源の設置、軌道と鉄索) さてこれまで、「黒部堰堤」「下滝発電所」「逆川ダム」とそれらをつなぐ「隧道」の工事の様子を辿ってみた。それによって鬼怒川水力電気の工事のおおよその位置関係が掴めたと思う。 今回は、それらの主な工事の「下準備」にあたる工事について調べてみる。... 鬼怒川水力電気
鬼怒川水力電気 鬼怒川水力電気 05 (下滝発電所、逆川ダム) 前回まで、鬼怒川水力電気㈱の設立と、黒部堰堤(ダム)について調べたことを発表した。 今回は当時の塩谷郡藤原村大字下滝に建設された「下滝発電所」とそれに付随する工事について調べる。 大正時代の鬼怒川水力電気地図。緑の点線は水道管を埋めた隧道。... 鬼怒川水力電気
日光市の郷土史 小休戸の鹿地蔵 鹿地蔵 拙サイトにも何度か登場している今は無住の集落である「小休戸」。 今回はその集落内にある「鹿地蔵」をご紹介したいと思う。 この写真は小休戸集落に唯一残っている斉藤家の建物である。無住であり、いつもはしっかりと扉が閉められているが、... 日光市の郷土史
鬼怒川水力電気 鬼怒川水力電気 04 (黒部堰堤・黒部ダム2) 鬼怒川水力電気の工事の簡易年表 (地理院地図を利用して作成) 黒部ダムの竣工 鬼怒川水力電気案内図 さて、東京に向けての送電が開始された後の大正2年(1913)9月16日、黒部ダムがようやく竣工した。完成したダムは当初の予定より小規模のも... 鬼怒川水力電気
日光市の郷土史 川岸の不思議な遺構 現在、今市の大谷川流域では川岸の樹木の伐採が行われている。これは主に河川の流れを阻害する土砂や樹木を取り除くことが目的である。 大谷橋の上から見ても並木大橋の上から見ても水郷橋の上から見ても、川岸はきれいさっぱり樹木が伐採され、長年見てきた... 日光市の郷土史
日光市の郷土史 倉ケ崎の会津西街道の古道 今回は、栃木県日光市(旧今市市)の倉ケ崎ー大桑周辺の「会津西街道」の古道について調べた記事である。我ながらかなりマイナーな記事だなとは思うのだが、考えてみれば今まで一度もメジャーでワールドワイドな記事なんて書いたことがなかったことに気づいて... 日光市の郷土史街道
鬼怒川水力電気 鬼怒川水力電気 03 (黒部堰堤・黒部ダム1) 黒部ダム(黒部堰堤) 注:和暦について説明する。鬼怒川水電の工事は明治44年(1911)から大正2年(1913)までが主な時期となる。明治45年(1912)は7月30日より年号が大正に切り替わる。 よって、明治時代の人の発言で「来年の大正... 鬼怒川水力電気
鬼怒川水力電気 鬼怒川水力電気 02 (工事の起工) 発電所建設の過程 鬼怒川水電の工事は、着工に至る前に様々な土地や水利権の買収、賃借契約などを済ませなければならなかった。栃木県の鬼怒川上流は水力発電に有利な条件を備えているということで、ほとんど人が住んでいない場所にも関わらず、発電用の水... 鬼怒川水力電気
街道 道路元標 ひと月に最低一つは記事をアップロードしようと思っているのだが、今調べていることは話が大きくなりすぎてまとまっていない。 仕方がないと言っては何だが、日光市の「道路元標」についてお話しよう。 道路元標とは 大正8年(1919)の旧道路法では... 街道
鬼怒川水力電気 鬼怒川水力電気 01 (鬼怒川水力電気の設立) 東洋一の水力発電所 今市から国道121号線を鬼怒川温泉方面に向かい、日光市立藤原中学校の先の跨線橋を通ると、ちょうど正面右手の山に見えるのが「東京電力リニューアブルパワー㈱ 鬼怒川発電所」である。 これは栗山村(現・日光市)の黒部ダムを水... 鬼怒川水力電気
日光市の郷土史 栗本義喬 今回は、 瀧尋常小学校の回で簡単にご紹介した「栗本義喬くりもとよしたか」氏について調べた。 栗本氏は大正時代、鬼怒川小学校の前身となる瀧尋常小学校の校地を寄付した人物で、鬼怒川温泉の発展の礎の一人に数えられる。 栗本氏についてインターネット... 日光市の郷土史
日光市の廃校 鬼怒川小学校瑞穂分校 (旧藤原町の廃校05) 今回は戦後の開校からわずか25年ほどしか存在しなかった「藤原町立鬼怒川小学校瑞穂分校」について調べてみた。 瑞穂分校は栃木県道63号藤原宇都宮線、起点の日光市藤原から西の尚仁沢湧水や塩谷町玉生方面に向かって約4km進んだ場所にあった。 地... 日光市の廃校