今市用水 (今市と宇都宮の水道の歴史 3)

今市用水の跡を辿る

 以下の地図は、宇都宮市上下水道局水道管理課に教えていただいた「宇都宮水道発足時の今市浄水場までの水の流れ」の地図である。非常に丁寧に宇都宮の水道の歴史を教えていただいて、本当に感謝しています。
 大谷川から分岐して(1)で取水された今市用水は、(3)の沈砂池の場所で今市用水と宇都宮水道に分岐し、今市浄水場まで流れ、その後は日光街道を宇都宮方面に下っていった。

今市用水地図
宇都宮市水道発足時の今市用水から取水の流れ「電子地形図25000(国土地理院)を加工して作成」  

さらに以下は、「日光だいや川公園」サイトのPDFファイルから起こした地図である。だいや川公園を走ったり歩いたりした経験をお持ちの方は、以下の方がわかりやすいかもしれない。

各場所が今どうなっているのかを辿ってみよう。

(1)今市用水の旧取水口

 だいや川公園の北端の堤防を登ると、今も今市用水取水口の跡を見ることができる。写真上部は北側、大谷川。足元に取水口があったが、今は石で塞がれているため、流れは極めて緩やかである。
 ここには「牛枠」と呼ばれる取水のための堰が築かれていたが、大雨のあとの大谷川を現代の我々がみても一目瞭然のように、急流河川である大谷川はしばしばこの牛枠を破壊した。この堰は今市用水と宇都宮水道の水を担うものである為、修理費用は今市町と宇都宮市の取り決めにより、3:7の分担とされていた(『用水使用に関する契約』大正2年8月19日)。ここは大正5年(1916)から昭和23年(1948)までの32年の間に都合116回もの大なり小なりの修理が行われている。

今市用水跡

 下の写真はだいや川公園から堤防を見上げたものである。写真中央の石積みが昔の取水口を塞いだ跡である。現在はここに水は流れていない。

今市用水跡
堤防からだいや川公園に降り、取水口を見る。大小の石でしっかり塞がれている。

 塞がれた取水口跡を数歩下がって見てみる。南に空堀が伸びている。なぜここを塞いだのかは、後日追って発表したいと思う。

今市用水跡
今は空堀となって、だいや川公園を南に縦断する。

(2) 今市用水跡

 (1)で取水された水は南に進み、写真の先でアスレチック広場のあたりを流れる志渡淵川と合流し、西に流れていく。

今市用水跡
取水口から回れ右した。空堀がアスレチック広場方面に残る。

アスレチック広場を流れる小川。これが旧今市用水の名残だ。当時はもっと太かったと思われる。

今市用水跡

小川は道路を横断し、だいや川公園売店の裏を流れ、水門にたどり着く。石積みのこの幅こそが昔の用水の幅だったのであろう。

今市用水跡

古い石積みが残っていて、ノスタルジーを感じる。虫やへびがいると困るのでこれ以上先には行かない。

今市用水跡

(3) 宇都宮水道の取水口と沈砂池

 だいや川公園を流れた今市用水はそのまま(3)の宇都宮水道の取水口と沈砂池に向かう。ここで宇都宮水道は今市用水から分岐して取水を行っていた。取水の量は今市用水の1/10程度の量であった。
 この建造物はだいや川公園の遊具広場から見える草むらの中にある。コンクリートで囲まれた中は昔は管理棟などの建物があった。今は木々が生い茂り周囲は立入禁止となっている。

沈砂池

 下の写真の左上の白黒写真は、宇都宮市制20周年記念写真の中の1コマである。男性が腰掛けた岩は今は無いように見えるが、男性の右手数メートル横に写る岩はおそらく現在残るものと同一のものだろう。石積みなどがそっくりそのまま残っている。この草むらの奥には、昔は写真のような建物が建っていたのか。
 僕はこういった写真を現在と比べるのが大好きだ。

白黒写真は「栃木県の土木遺産(https://www.doboku.shimotsuke.net/)」から引用。

 水は沈砂池に流れ込み、そのまま地中に埋設された導水管を通って瀬川の今市浄水場まで運ばれた。
 人間は日光杉並木を歩いて行くことにする。分水井ぶんすいせいに向かう。

日光杉並木(日光市瀬川)

(4)今市用水円筒分水井

 今市用水円筒分水井(えんとうぶんすいせい)にたどり着く。しかしこの施設は明治・大正期の水道開通当初には無かった施設である。(3)沈砂池から水は地中を通した導水管によって直接(5)今市浄水場まで通っていた。

 この円筒分水井については後にご紹介することとする。

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