華厳の滝が消える日 (中禅寺ダム見学会)

新発見!! ダムの魅力探索旅

 令和5年7月26日、日光市の中禅寺ダムの見学会「新発見!! ダムの魅力探索旅」が開催された。日頃は関係者以外立ち入り禁止であるため貴重な機会である。

中禅寺ダム

 僕は特にダムには興味がないのだが(世の中にはダムカードなるものがあるほどダムには根強いファンがいるらしい)、先日まで調べていた今市の水道の歴史の中で取り上げた「宇都宮水道補水水門」と隧道について、もう少し詳しいことがわかるかな、と思って出かけてみたのだ。

 今回教えていただいた内容をかいつまんで記録してみよう。

中禅寺ダム

中禅寺ダム

 中禅寺ダムは日光市中宮祠、中禅寺湖の東端と華厳の滝の間にあり、利根川水系の大谷川(厳密には大尻川という)の水深2mを利用する多目的ダムである。
 このダムは次の3つの目的を有している。

  1. 洪水の調節
    中禅寺ダムはこの地点を流れる517㎥/秒のうち、423㎥/秒をダムに貯め、残りの94㎥/秒を華厳の滝に向けて放水し、中禅寺湖の水量を調節するように計画されている。
  2. 流水の正常な機能の維持
    下流域の農業用水の安定した供給や、生態系の環境および河川の景観を守るため、川の水量を維持するよう注意を払って管理を行う。
  3. 発電
    中禅寺ダムの下流には古河日光発電㈱、東京電力㈱の水力発電所があり、そこに安定した水の供給を行う。

 中禅寺ダムは高さ6.4m、堤長25.1m、堤体積1,886㎥の重力式コンクリートダムである。
 実は河川法・河川構造令では「高さ15m以上」のものを「ダム」と規定しているが、高さ6mあまりの中禅寺ダムが「ダム」となっているのは、河川法施行以前の昭和35年(1960)から運用が開始されているためである。
 もしもであるが、現在この施設が完成したとすれば、名称は「中禅寺堰堤えんてい」となるだろう。

宇都宮水道補水水門

 宇都宮水道補水水門についてさらりとおさらいしよう。
 大正5年(1916)に給水を開始した宇都宮市の水道は、中禅寺湖を水源とする大谷川の今市地点から取水され、日光街道の地下を通って宇都宮まで配水された。
 しかし大谷川沿岸の町村は生活用水や農業用水の多くを大谷川から取水していたため、宇都宮が新たに大谷川から取水することにより用水が減水すること危惧した。
 宇都宮はそれに対応する策として、中禅寺湖の湖底近くに水門を設け、華厳の滝に落水させる隧道(トンネル)を通し、渇水期にはそれによって大谷川の水量を補うことを決定した。

 隧道は大正4年(1915)に完成したが、この補水口は結局のところ、中禅寺湖の水位が極端に下がることが無かったために完成してから「宇都宮市水道補水水門」として利用されたことはない。

歌ヶ浜水位観測所 (宇都宮市水道補水水門)

 昭和35年(1960)4月に中禅寺湖畔にダムが完成するとこの建物は歌ヶ浜水位観測所として利用されており、中には当時の水門が今も残っている。

 中禅寺ダム敷地にはその隧道の跡があるのだろうか。

隧道はどこに

 さて、中禅寺ダムに長年お勤めになられている方に隧道のお話を伺った。残念ながら隧道の出口は崖と樹木で遮られこの目で確認することはできなかったが、おおよその位置を教えていただけた。

 中禅寺湖畔にある宇都宮水道補水水門(現・歌ヶ浜水位観測所)から、教えていただいた隧道の出口を点線で繋いでみた。ただでさえ大工事である隧道の掘鑿をわざわざ大きく迂回させる必要はないため、ほぼ点線の場所をトンネルが通っているのではないだろうか。

 ただ、隧道は今も残っているかもしれないが、通水させたことはないので現在はどうなっているのかは分からない、とのことだった。

華厳の滝

 中禅寺ダムから流れてきた水はほどなくして華厳の滝として落水する。

ライトアップされた冬の華厳の滝
ライトアップされた冬の華厳の滝(あまりにも寒くじっくり撮影することはできなかった)

 華厳の滝は「日本三名瀑」に数えられる滝で、高さ97mを毎秒3tもの水が一気に流れ落ちる様子は壮観である。
 華厳の滝は男体山の噴火によって中禅寺湖が堰き止められてできたもので、滝の下流には華厳の滝が形成した華厳渓谷が続いており、崩れやすい男体山の噴出物を浸食しながら現在の位置へ移動したと考えられている。

 一説には3万年前の男体山の噴火当時、滝は現在の馬返しのあたりにあったのではないかと言われている(諸説あり)。
 3万年かけて約2.6kmを侵食し、現在の位置になったということだ。
 滝の様子の変化はいくつか記録されており、昭和10年(1935)7月6日には滝の上部の岩盤が落下して、滝壺付近にあった五郎平茶屋に岩が直撃して4人が死亡する事故が起きた。また、昭和61年(1986)には滝の上部が崩落したため、崩落の進行を防止する補強工事が行われたが、観光に配慮し通常は補強部分が見えないように工事がなされている。

 馬返しから現在の華厳の滝までは直線でおよそ2.6kmある。3万年かけて滝がここまで移動してきたと考えると、単純計算で1年間でおよそ8cmずつ西に移動していると考えられる。
 さらに計算すると、なんと華厳の滝はあと7~8千年後には中禅寺湖に接して無くなってしまうということになる。

 何てことだ!
 西暦9,000年とか10,000年には華厳の滝が消えてしまうなんて!
 あんまりピンと来ないけど。

 と、このようななかなか興味深い話をお聞かせいただいた今回の中禅寺ダムの見学会「新発見!! ダムの魅力探索旅」でしたとさ。
 おしまい。

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