宿場町
21次の宿場町
ここで日光街道の宿場町を表にした。
21の宿場町は、東京日本橋を起点に、埼玉、茨城を通過し栃木県に入る。
宿場町 | 現在の地名 | 宿内家数 | 宿内人口 | 本陣 | 脇本陣 | 旅籠 | 次の宿まで | 大概帳(*) | |
日本橋 | 東京都中央区日本橋 | – | – | – | – | – | 8.8km | 2里8町 | |
1 | 千住宿 | 東京都足立区 | 2370 | 9956 | 1 | 1 | 55 | 9.7km | 2里8町 |
2 | 草加宿 | 埼玉県草加市 | 723 | 3619 | 1 | 1 | 67 | 9.0km | 1里28町 |
3 | 越ヶ谷宿 | 埼玉県越谷市 | 1005 | 4603 | 1 | 4 | 52 | 10.0km | 2里30町 |
4 | 粕壁宿 | 埼玉県春日部市 | 773 | 3701 | 1 | 1 | 45 | 6.6km | 1里21町 |
5 | 杉戸宿 | 埼玉県北葛飾郡杉戸町 | 365 | 1663 | 1 | 2 | 46 | 5.8km | 1里25町 |
6 | 幸手宿 | 埼玉県幸手市 | 962 | 3937 | 1 | 0 | 27 | 8.3km | 2里3町 |
7 | 栗橋宿 | 埼玉県久喜市 | 404 | 1741 | 1 | 1 | 25 | 1.6km | 18町 |
8 | 中田宿 | 茨城県古河市 | 69 | 403 | 1 | 1 | 6 | 5.8km | 1里20町 |
9 | 古河宿 | 茨城県古河市 | 1105 | 3865 | 1 | 1 | 31 | 2.7km | 25町 |
10 | 野木宿 | 栃木県下都賀郡野木町 | 126 | 527 | 1 | 1 | 25 | 6.7km | 1里27町 |
11 | 間々田宿 | 栃木県小山市 | 175 | 947 | 1 | 1 | 50 | 7.4km | 1里23町 |
12 | 小山宿 | 栃木県小山市 | 423 | 1392 | 1 | 2 | 74 | 5.7km | 1里11町 |
13 | 新田宿 | 栃木県小山市 | 59 | 244 | 1 | 1 | 11 | 2.6km | 29町 |
14 | 小金井宿 | 栃木県下野市 | 165 | 767 | 1 | 1 | 43 | 7.2km | 1里18町 |
15 | 石橋宿 | 栃木県下野市 | 79 | 414 | 1 | 1 | 30 | 6.6km | 1里23町 |
16 | 雀宮宿 | 栃木県宇都宮市 | 72 | 268 | 1 | 1 | 38 | 7.9km | 2里1町 |
17 | 宇都宮宿 | 栃木県宇都宮市 | 1219 | 6457 | 2 | 1 | 42 | 10.5km | 2里18町 |
18 | 徳次郎宿 | 栃木県宇都宮市 | 168 | 653 | 2 | 3 | 72 | 9.6km | 2里9町 |
19 | 大沢宿 | 栃木県日光市 | 43 | 278 | 1 | 1 | 41 | 7.4km | 2里 |
20 | 今市宿 | 栃木県日光市 | 236 | 1122 | 1 | 1 | 21 | 8.5km | 2里 |
21 | 鉢石宿 | 栃木県日光市 | 227 | 985 | 2 | 1 | 19 | – | – |
表には宿場間の距離を載せた。何里何町という距離は、日光道中宿村大概帳から引用。現在の正確な距離とはずいぶん違いが見られるが、これらはそもそも道が違う、河を渡った場所が違う、寺の領地や非人の居住地は距離に換算しなかったなどの理由がある。
宿場町の標高グラフ
宿場町の標高をグラフにしてみる。栃木県に入ったあたりから急に標高が増していくのがよく分かる。
なぜ「宿場の数」を「次」と数えるのか
江戸時代になると幕府は「宿駅伝馬制度(しゅくえきてんませいど)」をしく。
宿駅伝馬制度とは、街道沿いに宿場を設け、公用の旅人や物資の輸送は無料で「次」の宿駅まで送り継ぐという制度。
輸送の範囲は原則として隣の宿場までで、これを越えて運ぶことは禁止されていた。したがって人足と馬もそこで交替することになり、隣の宿場に到着すると、荷物の継ぎ替えをすることになる。そのため俗に「21次」と呼ばれるようになった。
日光街道の一里塚
続いて日光街道の一里塚を表にした。
日本橋を起点として一里毎に、原則として道路の両側に約9m四方の塚を築き、その上にヒノキ・松・けやき・杉・モミなどの木を植えた。
この時1里を36町に統一した。一里は3.93km、一町109m。
一里塚は旅人にとっては旅の行程の目安になり、馬や駕篭の賃金の目安になった。しかし実際の所、平らな道と険しい山道を同じ距離で換算した賃金でものを運ぶわけにはいかないため、歩く労力によって一里の距離が変わったりした。
戦後、自動車が普及すると、ものすごい勢いで増えていく交通量のため、道路は拡幅を余儀なくされ、その為無用の長物となっていた一里塚は全国的に破壊されてしまった。
No. | 一里塚 | よみがな | 住所 | 概要 |
1 | 浅草 | あさくさ | 東京都台東区雷門2丁目 | 存在したのかも含めて不明 |
2 | 千住 | せんじゅ | 東京都足立区千住仲町 | 「一里塚跡」の標柱 |
3 | 六月 | むつき | 東京都足立区六月 | 場所不明 |
4 | 草加 | そうか | 埼玉県草加市吉町3丁目 | 場所不明 |
5 | 蒲生 | がもう | 埼玉県越谷市蒲生愛宕町 | 東側に愛宕社が建つ |
6 | 越谷 | こしがや | 埼玉県越谷市越谷2丁目付近 | 場所不明 |
7 | 下間久里 | しもまくり | 埼玉県越谷市大字下間久里 | 場所不明 |
8 | 備後 | びんご | 埼玉県春日部市備後 | 「史跡備後一里塚跡」標柱 |
9 | 小渕 | おぶち | 埼玉県春日部市小渕 | 「史跡小渕一里塚跡」標柱 |
10 | 三本木 | さんぼんぎ | 埼玉県杉戸町清地 | 案内板のみ |
11 | 茨島 | いばらしま | 埼玉県杉戸町高野台東 | 案内板のみ |
12 | 幸手 | さって | 埼玉県幸手市北 | 案内板と「幸手一里塚跡」碑 |
13 | 小右衛門 | こえもん | 埼玉県久喜市小右衛門 | 西側に弁財天堂と説明板 |
14 | 栗橋 | くりはし | 埼玉県久喜市栗橋東 | 場所不明 |
15 | 中田 | なかた | 茨城県古河市中田 | 場所不明 |
16 | 古河 | こが | 茨城県古河市幸町 | 古河第二高校敷地内 |
17 | 野木 | のぎ | 栃木県野木町野木 | 「一里塚跡」の小さな看板 |
18 | 乙女 | おとめ | 栃木県小山市大字乙女 | 西側に小さな鳥居と祠 |
19 | 千駄木 | せんだぎ | 栃木県小山市間々田 | 道が消滅、場所不明 |
20 | 小山 | おやま | 栃木県小山市天神町 | 場所不明 |
21 | 喜沢 | きざわ | 栃木県小山市大字喜沢 | 両塚あり 案内板無し |
22 | 小金井 | こがねい | 栃木県小山市小金井23-9 | 両塚あり 国指定史跡 |
23 | 下石橋 | しもいしばし | 栃木県下野市薬師寺3324-10 | 近年発見された |
24 | 下古山 | しもこやま | 栃木県下野市下古山 | 場所不明 |
25 | 雀宮 | すずめのみや | 栃木県宇都宮市雀宮5 | 場所不明 |
26 | 江曽島 | えそじま | 栃木県宇都宮市江曽島 | 「一里」の地名のみ残る |
27 | 宇都宮 | うつのみや | 栃木県宇都宮市清住町1 | 宝勝寺前に案内板 |
28 | 上戸祭 | かみとまつり | 栃木県宇都宮市上戸祭町 | 両塚ともにヒノキと石柱 |
29 | 高谷林 | こうやばやし | 栃木県宇都宮市下金井町 | 両塚ともにヒノキと石柱・案内板 |
30 | 石那田 | いしなだ | 栃木県宇都宮市石那田町 | 東側のみ残る |
31 | 上小池 | かみこいけ | 栃木県宇都宮市上小池 | 塚の面影のみ。案内板等なし |
32 | 水無 | みずなし | 栃木県日光市大沢町 | 両塚残る |
33 | 七本桜 | しちほんざくら | 栃木県日光市七本桜 | 並木ホテルの異名 |
34 | 瀬川 | せがわ | 栃木県日光市瀬川 | 案内板が朽ちている |
さて準備は整った。
旅に出よう。
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