日光街道を歩く03 序章(3)

宿場町

21次の宿場町

ここで日光街道の宿場町を表にした。
21の宿場町は、東京日本橋を起点に、埼玉、茨城を通過し栃木県に入る。

 宿場町現在の地名宿内家数宿内人口本陣脇本陣旅籠次の宿まで大概帳(*)
 日本橋東京都中央区日本橋8.8km2里8町
1千住宿東京都足立区2370995611559.7km2里8町
2草加宿埼玉県草加市723361911679.0km1里28町
3越ヶ谷宿埼玉県越谷市10054603145210.0km2里30町
4粕壁宿埼玉県春日部市773370111456.6km1里21町
5杉戸宿埼玉県北葛飾郡杉戸町365166312465.8km1里25町
6幸手宿埼玉県幸手市962393710278.3km2里3町
7栗橋宿埼玉県久喜市404174111251.6km18町
8中田宿茨城県古河市694031165.8km1里20町
9古河宿茨城県古河市1105386511312.7km25町
10野木宿栃木県下都賀郡野木町12652711256.7km1里27町
11間々田宿栃木県小山市17594711507.4km1里23町
12小山宿栃木県小山市423139212745.7km1里11町
13新田宿栃木県小山市5924411112.6km29町
14小金井宿栃木県下野市16576711437.2km1里18町
15石橋宿栃木県下野市7941411306.6km1里23町
16雀宮宿栃木県宇都宮市7226811387.9km2里1町
17宇都宮宿栃木県宇都宮市12196457214210.5km2里18町
18徳次郎宿栃木県宇都宮市16865323729.6km2里9町
19大沢宿栃木県日光市4327811417.4km2里
20今市宿栃木県日光市236112211218.5km2里
21鉢石宿栃木県日光市2279852119
論文「『五街道分間延絵図』と『宿村大概帳』の制作」(杉山正司氏)によると、写本の誤字 脱字が多く見られ、単純に男女の人口の合計が総人口と合わないなどの例が見られる。

表には宿場間の距離を載せた。何里何町という距離は、日光にっこう道中宿村どうちゅうしゅくそん大概帳たいがいちょうから引用。現在の正確な距離とはずいぶん違いが見られるが、これらはそもそも道が違う、河を渡った場所が違う、寺の領地や非人の居住地は距離に換算しなかったなどの理由がある。

宿場町の標高グラフ

宿場町の標高をグラフにしてみる。栃木県に入ったあたりから急に標高が増していくのがよく分かる。

宿場町の標高

なぜ「宿場の数」を「次」と数えるのか

 江戸時代になると幕府は「宿駅伝馬制度(しゅくえきてんませいど)」をしく。
 宿駅伝馬制度とは、街道沿いに宿場を設け、公用の旅人や物資の輸送は無料で「次」の宿駅まで送り継ぐという制度。
 輸送の範囲は原則として隣の宿場までで、これを越えて運ぶことは禁止されていた。したがって人足と馬もそこで交替することになり、隣の宿場に到着すると、荷物の継ぎ替えをすることになる。そのため俗に「21次」と呼ばれるようになった。

日光街道の一里塚

続いて日光街道の一里塚を表にした。

日本橋を起点として一里毎に、原則として道路の両側に約9m四方の塚を築き、その上にヒノキ・松・けやき・杉・モミなどの木を植えた。

この時1里を36町に統一した。一里は3.93km、一町109m。

一里塚は旅人にとっては旅の行程の目安になり、馬や駕篭の賃金の目安になった。しかし実際の所、平らな道と険しい山道を同じ距離で換算した賃金でものを運ぶわけにはいかないため、歩く労力によって一里の距離が変わったりした。

戦後、自動車が普及すると、ものすごい勢いで増えていく交通量のため、道路は拡幅を余儀なくされ、その為無用の長物となっていた一里塚は全国的に破壊されてしまった。

No.一里塚よみがな住所概要
1浅草あさくさ東京都台東区雷門2丁目存在したのかも含めて不明
2千住せんじゅ東京都足立区千住仲町「一里塚跡」の標柱
3六月むつき東京都足立区六月場所不明
4草加そうか埼玉県草加市吉町3丁目場所不明
5蒲生がもう埼玉県越谷市蒲生愛宕町東側に愛宕社が建つ
6越谷こしがや埼玉県越谷市越谷2丁目付近場所不明
7下間久里しもまくり埼玉県越谷市大字下間久里場所不明
8備後びんご埼玉県春日部市備後「史跡備後一里塚跡」標柱
9小渕おぶち埼玉県春日部市小渕「史跡小渕一里塚跡」標柱
10三本木さんぼんぎ埼玉県杉戸町清地案内板のみ
11茨島いばらしま埼玉県杉戸町高野台東案内板のみ
12幸手さって埼玉県幸手市北案内板と「幸手一里塚跡」碑
13小右衛門こえもん埼玉県久喜市小右衛門西側に弁財天堂と説明板
14栗橋くりはし埼玉県久喜市栗橋東場所不明
15中田なかた茨城県古河市中田場所不明
16古河こが茨城県古河市幸町古河第二高校敷地内
17野木のぎ栃木県野木町野木「一里塚跡」の小さな看板
18乙女おとめ栃木県小山市大字乙女西側に小さな鳥居と祠
19千駄木せんだぎ栃木県小山市間々田道が消滅、場所不明
20小山おやま栃木県小山市天神町場所不明
21喜沢きざわ栃木県小山市大字喜沢両塚あり 案内板無し
22小金井こがねい栃木県小山市小金井23-9両塚あり 国指定史跡
23下石橋しもいしばし栃木県下野市薬師寺3324-10近年発見された
24下古山しもこやま栃木県下野市下古山場所不明
25雀宮すずめのみや栃木県宇都宮市雀宮5場所不明
26江曽島えそじま栃木県宇都宮市江曽島「一里」の地名のみ残る
27宇都宮うつのみや栃木県宇都宮市清住町1宝勝寺前に案内板
28上戸祭かみとまつり栃木県宇都宮市上戸祭町両塚ともにヒノキと石柱
29高谷林こうやばやし栃木県宇都宮市下金井町両塚ともにヒノキと石柱・案内板
30石那田いしなだ栃木県宇都宮市石那田町東側のみ残る
31上小池かみこいけ栃木県宇都宮市上小池塚の面影のみ。案内板等なし
32水無みずなし栃木県日光市大沢町両塚残る
33七本桜しちほんざくら栃木県日光市七本桜並木ホテルの異名
34瀬川せがわ栃木県日光市瀬川案内板が朽ちている
日光街道の34の一里塚。

さて準備は整った。
旅に出よう。

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