この記事は、2019年宇都宮高校通信制の課題として作成したものに加筆・訂正を加えたものです。
僕は日光市今市に住んでいるのだが、この街の歴史に興味を持ったのはほんの10年ほど前のことだと思う。
なんとなく手持ち無沙汰(足運び無沙汰?)で始めたことにランニングと登山がある。走行距離はどんどん伸び、踏破した県内の山頂はずいぶんな数になったが、走るコースにはたくさんの石碑、石像、そして寺社仏閣があり、のどかな田園風景のなかにそっと小さなお社や祠があることに気づく。
自分の脚で街を歩けば、人が住む(またはかつて住んでいた)集落の全てに、見渡す限りの山頂の全てには、必ずと行っていいほど信仰の跡が残っているのだ。
現代とは比べ物にならないくらい信仰が深い意味を持っていた時代の遺物(この現代に、かなりの重量の石祠を背負って山に登ったり、新築した自宅の庭にわざわざ新たに神様を勧請して社を建てる人がどれくらいいるのだろう?)。
草木を払いのけ、腰をかがめ、石祠の年代を指でたどりながら彫られた文字を読むと、大抵のものは江戸時代のものであることがわかる。腰を伸ばし、そして周りを見渡してみる。今見える景色は昔とは随分と変わったことだろう。しかし遠近に見える山々の形はそれほど大きな変化はないだろうし、なにより今目の前にある祠自体は数百年の時を越えて変わらずその場所にあり、僕が今立つこの場所は、ここを訪れたたくさんの人々が手を合わせて何事かを祈った場所である。その祈りはときに集落や家の平和であったり、安産祈願や病の平癒であったり、遠く戦に出た大切な人の武運長久を祈るものであったかもしれない。
先人の祈りは、そこに染み込んでいる。
僕はその場所に立って、思いを巡らす。これを歴史のロマンと言わずしてなんと言おう。
十分に体力はある。休みの日には特にやることはない。よし、昔の人がたどった道を、俺も歩いてみよう。修道院長も歌っているではないか。
Climb every mountain. Search high and low.
Follow every byway, every path you know.
そういったわけで僕は日光街道を歩いてみようと思い立ったわけだが、日光街道は調べたところ、およそ144km、昔の人は未舗装の道をわらじを履いて半纏だか着物だかを着て、3泊4日、一日約40kmを歩いて江戸ー日光間を踏破したそうだ。
結論から言えば僕は歴史建造物に寄り道して調べ物をしたり、御朱印をいただくのに並んだり、定食屋で休憩してビールを飲んだりしてばかりいたので、234km、日数にして10日の日程となった。
このブログ記事を書くにあたって、僕が歴史上新しく発見したことはもちろんないので、結局の所は今まで発表された書籍の焼き直しになってしまう。よって、今回は自分の興味のあること「なるほど」と思ったこと、そして単純な自分の感想を重点的に書き出していきたいと思う。
注釈: 本課題中に、人権についての忌まわしい事柄について記載されたものがある。歴史上の事実考察という意味に於いてのみこれらを記載したものであり、職業、出自、宗教、国籍人種、その他いかなる事柄に於いても差別を目的としたものではないことをここに明記する。
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