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街道

会津西街道の一里塚を探す (1)

さて前回まで日光市の10個(とおまけの1個)の一里塚を訪ねてみたが、気になるのは会津西街道には大桑~上三依間の約40km(現代の道路による距離)に渡り、一里塚が全く無いことである。会津西街道の日光市側で現在確認されている一里塚は3個(推定大...
街道

日光市の一里塚

一里塚とは 今回は、日光に現存する一里塚について調べてみた。 「一里塚」について簡単におさらいしてみよう。 江戸幕府は慶長8年(1603)に全国の主要街道を整備し、江戸日本橋を起点として一里ごとに道路の両側に五間(約9m)四方の塚を築き、そ...
日光市の郷土史

西澤金山を訪ねて(地域学習講座)

旧日光市の戦場ヶ原と、旧栗山村の川俣を結ぶ山王林道の途中、深山幽谷の中に「西澤金山」の跡がある。 大正年間の最盛期、西澤金山は約1,300人もの鉱山従事者やその家族が住み、病院や尋常高等小学校を備えた豊かで活気ある場所だった。 この金鉱山は...
鬼怒川水力電気

栗山ダム群の歴史探訪 (地域学習講座)

令和6年8月4日、日光市の栗山公民館が主催した「地域学習講座 栗山ダム群の歴史探訪」に参加してきた。 これは地元の郷土史家の会である「栗山郷史談会くりやまふるさとしだんかい」さんが講師を務められ、我々に旧栗山村に点在するダムとそれにまつわる...
日光市の郷土史

高原のその後 (高原新田宿 5)

移転後の高原とその後を辿る 高原新田宿を巡る話も今回が最終章となる。 今回は、移転したあとの高原について調べてみよう。高原八軒と高原村字川原の町割り さて、栃久保新道開通の翌年である元治元年(1864)3月20日に引っ越しを完了した新・高原...
日光市の郷土史

栃久保新道の完成と高原新田宿の移転(高原新田宿 4)

高原新田宿の移転栃久保新道の完成青線が栃久保新道(地理院地図を利用して作図) こうして幕末の動乱期に、東北・越後からの輸送路を確保したい幕府と、西船生河岸を建設した宇都宮藩と、旧来の地位を回復したい高原新田、藤原、大原、高徳の各宿の思惑が一...
日光市の郷土史

小佐越新道、西船生河岸、栃久保新道(高原新田宿 3)

小佐越新道と栃久保新道 前回まで、仲附の発生と宿駅側との対立、そして形勢が次第に仲附側の有利に傾いていく様子について調べた。 今回の章は仲附の誘致を目論み、小佐越村や川治村が開削した小佐越新道と、幕府によって開削された栃久保新道について調べ...
日光市の郷土史

仲附(中付)と五十里湖の出現(高原新田宿 2)

仲附と五十里湖の出現 前回まで、会津西街道の高原新田宿は高所難所で雪深い山中にありながら、地の利を活かして小規模ながらも繁栄していった様子を調べた。 今回はそんな会津西街道と高原新田宿が徐々に衰退していく様子について調べた。仲附(なかづけ)...
日光市の郷土史

高原新田宿の跡(高原新田宿 1)

皆さんは「日光市の高原(たかはら)」と聞くと何を思い浮かべるだろうか。僕は「高原大根」だった。鶏頂山の中腹に鶏頂開拓があり、メイプルヒルスキー場の側、すなわち雪がたくさん降る、というくらいの知識しか持ち合わせていなかった。 今回は高原新田宿...
日光市の廃校

川治小中学校(川治小学校・高原尋常小学校) (旧藤原町の廃校06)

今回は平成22年(2010)に廃校となった日光市立川治小中学校について調べてみた。 まず始めに、今回の川治小中学校について調べるために、川治在住の郷土史研究家であられる大塚建一郎氏に極めて多大なご協力を頂いた。今回の僕の発表は、大塚氏が記し...
日光市の郷土史

小休戸の延命地蔵尊と斎藤家

拙ブログでは今まで複数回に渡り小休戸について記事に取り上げてきた(「小百小学校小休戸分校」「小休戸の鹿地蔵」、「鬼怒川水力電気」など)。 今回は小休戸集落のなかでも、書き漏らしていた有名な小休戸延命地蔵尊と斎藤家住宅について書きたいと思う。...
今市史談会

今市小学校の石碑

さて今回は我が母校である今市小学校についてである。 今市小学校に通った方なら校門のところにそびえ立つ大きな石碑の存在をご存知であろう。 随分と前にこの石碑を眺めた時に、漢字がずらりと彫られた石碑の正面に「今市町」「渡邊佐平」の文字を読むこと...
日光市の郷土史

小休戸の鹿地蔵

鹿地蔵 拙サイトにも何度か登場している今は無住の集落である「小休戸」。 今回はその集落内にある「鹿地蔵」をご紹介したいと思う。 この写真は小休戸集落に唯一残っている斉藤家の建物である。無住であり、いつもはしっかりと扉が閉められているが、ご覧...
日光市の郷土史

大谷川岸の不思議な遺構

現在、今市の大谷川流域では川岸の樹木の伐採が行われている。これは主に河川の流れを阻害する土砂や樹木を取り除くことが目的である。 大谷橋の上から見ても並木大橋の上から見ても水郷橋の上から見ても、川岸はきれいさっぱり樹木が伐採され、長年見てきた...
日光市の郷土史

倉ケ崎の会津西街道の古道

今回は、栃木県日光市(旧今市市)の倉ケ崎ー大桑周辺の「会津西街道」の古道について調べた記事である。我ながらかなりマイナーな記事だなとは思うのだが、考えてみれば今まで一度もメジャーでワールドワイドな記事なんて書いたことがなかったことに気づいて...
日光市の郷土史

龍王峡と五龍王神社

龍王峡の名付け親である矢島市郎、無名の渓谷にハイキングコースを提案した斎藤茂吉。ちょっぴり深い龍王峡の歴史をたどります。
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 08 完 (犠牲者を悼む碑)

犠牲者を悼む 今回は鬼怒川水力電気㈱の建設工事で犠牲になった人々の供養の跡を辿ってみよう。鬼怒川水力電気大丸組配下傷病死者供養塔(旧・藤原町) 鬼怒川温泉大原の日光市立藤原中学校から旧道に入ってすぐの墓地の一角にひっそりと立つ「供養塔」。こ...
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 07 (巨大工事がもたらした光と影)

明治から大正時代にかけて、ほんの数年で完成して東京までの送電を開始した「鬼怒川水力電気株式会社」。当時東洋一と言われた規模のダムを作るために工事に従事した人数は常時6,000人とも8,000人とも言われ、それらの人々が短期間に今市町、藤原村...
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 06 (電源の設置、軌道と鉄索)

さてこれまで、「黒部堰堤」「下滝発電所」「逆川ダム」とそれらをつなぐ「隧道」の工事の様子を辿ってみた。それによって鬼怒川水力電気の工事のおおよその位置関係が掴めたと思う。 今回は、それらの主な工事の「下準備」にあたる工事について調べてみる。...
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 05 (下滝発電所、逆川ダム)

前回まで、鬼怒川水力電気㈱の設立と、黒部堰堤(ダム)について調べたことを発表した。 今回は当時の塩谷郡藤原村大字下滝に建設された「下滝発電所」とそれに付随する工事について調べる。大正時代の鬼怒川水力電気地図。緑の点線は水道管を埋めた隧道。(...