今市市

今市史談会

今市宿の市神様 1

日光市今市の瀧尾神社の境内に「市神」が祀られている社がある。これは幾度か場所を変えて現在地に遷座されたものであるが、今回はその軌跡をたどってみたいと思う。 さて、市神とはいったいどんな神なのだろうか。 市神をインターネット辞書「Wikipe...
今市地震

今市飛行場と萱場開拓

今年2025年の夏は昭和100年並びに戦後80年ということで、例年にも増して戦争関係のテレビ番組が多かったと思う。 先の大戦に至る過程や、たくさんの青年が身を挺して非人道的な兵器に乗って基地を発つその様子、遠い地で補給を絶たれ戦って死ぬより...
日光市の郷土史

日光和楽踊り

日光市民ならばほとんど誰もが知っている日光和楽踊りにっこうわらくおどり。 日本各地に数多ある盆踊りの一つで、関東地方でも代表的なものの一つに数えられるだろう。 昔からあるような感じもするが、実は和楽踊りの歴史は比較的新しい。日光和楽踊りとは...
日光市の鉄道

東武野口駅

現在東武鉄道では、下今市駅から鬼怒川温泉と日光に向けて、それぞれ蒸気機関車を走らせている。 鬼怒川温泉駅と下今市駅を往復するのは「SL大樹」である。それぞれの駅には転車台が設けられ、終点に到着したSLは180度向きを変えてSLの部分を先頭に...
街道

続・日光市の道路元標 (今市編)

前回の旧・日光市の道路元標に引き続き、今回は今市市の道路元標を訪ねてみよう。 記録では今市には4つの道路元標があったことが記録されている。今市今市町道路元標 (確認済み)場所:大字今市地内 府県道宇都宮日光線と今市若松線との分岐点 今市町道...
日光市の郷土史

高田一門の仏師

以前投稿した記事「龍王峡と五龍王神社」の中で、龍王峡の五龍王神社の御神体である龍神像を彫ったのは高田運秀・喜代助の親子であると書いた。 今回は宇都宮を中心に活躍した仏師、高田一門について調べた。 高田家は美濃国高田郡(現在の岐阜県養老郡養老...
今市地震

野口沼 (今市地震の爪痕・外伝)

令和7年の冬、意を決して野口沼に行ってきた。 野口沼とは昭和24年(1949)12月26日、栃木県の今市地方を襲った大地震、「今市地震」によって出来た沼である。 地震についての記事は拙サイトのリンクを辿っていただきたい。 沼の存在は随分前か...
今市地震

今市地震よもやま話

令和7年3月9日(日曜日)、「今市地震よもやま話」と題された歴史講演会が日光市立今市図書館で開催される。 講師はなんとびっくり私である。 以前拙ブログに掲載した記事に加え、新たに調査、見聞きしたことを発表したいと思う。 人前で話すことは得意...
街道

会津西街道の一里塚を探す (2)

前回までで、旧・会津西街道にあった一里塚と推定される場所を訪ねてみた。今回はその旧・会津西街道の中でも難所と言われた現在の鶏頂開拓に向かい、五十里から三依・横川に向かってみる。6. 藤原ー弐ツ屋一里塚の記載概要天保国絵図なし下野一国あり藤原...
街道

会津西街道の一里塚を探す (1)

さて前回まで日光市の10個(とおまけの1個)の一里塚を訪ねてみたが、気になるのは会津西街道には大桑~上三依間の約40km(現代の道路による距離)に渡り、一里塚が全く無いことである。会津西街道の日光市側で現在確認されている一里塚は3個(推定大...
街道

日光市の一里塚

一里塚とは 今回は、日光に現存する一里塚について調べてみた。 「一里塚」について簡単におさらいしてみよう。 江戸幕府は慶長8年(1603)に全国の主要街道を整備し、江戸日本橋を起点として一里ごとに道路の両側に五間(約9m)四方の塚を築き、そ...
日光市の郷土史

小佐越新道、西船生河岸、栃久保新道(高原新田宿 3)

小佐越新道と栃久保新道 前回まで、仲附の発生と宿駅側との対立、そして形勢が次第に仲附側の有利に傾いていく様子について調べた。 今回の章は仲附の誘致を目論み、小佐越村や川治村が開削した小佐越新道と、幕府によって開削された栃久保新道について調べ...
日光市の郷土史

小休戸の延命地蔵尊と斎藤家

拙ブログでは今まで複数回に渡り小休戸について記事に取り上げてきた(「小百小学校小休戸分校」「小休戸の鹿地蔵」、「鬼怒川水力電気」など)。 今回は小休戸集落のなかでも、書き漏らしていた有名な小休戸延命地蔵尊と斎藤家住宅について書きたいと思う。...
今市史談会

今市小学校の石碑

さて今回は我が母校である今市小学校についてである。 今市小学校に通った方なら校門のところにそびえ立つ大きな石碑の存在をご存知であろう。 随分と前にこの石碑を眺めた時に、漢字がずらりと彫られた石碑の正面に「今市町」「渡邊佐平」の文字を読むこと...
日光市の郷土史

小休戸の鹿地蔵

鹿地蔵 拙サイトにも何度か登場している今は無住の集落である「小休戸」。 今回はその集落内にある「鹿地蔵」をご紹介したいと思う。 この写真は小休戸集落に唯一残っている斉藤家の建物である。無住であり、いつもはしっかりと扉が閉められているが、ご覧...
日光市の郷土史

大谷川岸の不思議な遺構

現在、今市の大谷川流域では川岸の樹木の伐採が行われている。これは主に河川の流れを阻害する土砂や樹木を取り除くことが目的である。 大谷橋の上から見ても並木大橋の上から見ても水郷橋の上から見ても、川岸はきれいさっぱり樹木が伐採され、長年見てきた...
日光市の郷土史

倉ケ崎の会津西街道の古道

今回は、栃木県日光市(旧今市市)の倉ケ崎ー大桑周辺の「会津西街道」の古道について調べた記事である。我ながらかなりマイナーな記事だなとは思うのだが、考えてみれば今まで一度もメジャーでワールドワイドな記事なんて書いたことがなかったことに気づいて...
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 08 完 (犠牲者を悼む碑)

犠牲者を悼む 今回は鬼怒川水力電気㈱の建設工事で犠牲になった人々の供養の跡を辿ってみよう。鬼怒川水力電気大丸組配下傷病死者供養塔(旧・藤原町) 鬼怒川温泉大原の日光市立藤原中学校から旧道に入ってすぐの墓地の一角にひっそりと立つ「供養塔」。こ...
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 07 (巨大工事がもたらした光と影)

明治から大正時代にかけて、ほんの数年で完成して東京までの送電を開始した「鬼怒川水力電気株式会社」。当時東洋一と言われた規模のダムを作るために工事に従事した人数は常時6,000人とも8,000人とも言われ、それらの人々が短期間に今市町、藤原村...
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 06 (電源の設置、軌道と鉄索)

さてこれまで、「黒部堰堤」「下滝発電所」「逆川ダム」とそれらをつなぐ「隧道」の工事の様子を辿ってみた。それによって鬼怒川水力電気の工事のおおよその位置関係が掴めたと思う。 今回は、それらの主な工事の「下準備」にあたる工事について調べてみる。...