日光市の郷土史

今市史談会

今市宿の市神様 1

日光市今市の瀧尾神社の境内に「市神」が祀られている社がある。これは幾度か場所を変えて現在地に遷座されたものであるが、今回はその軌跡をたどってみたいと思う。 さて、市神とはいったいどんな神なのだろうか。 市神をインターネット辞書「Wikipe...
今市地震

今市飛行場と萱場開拓

今年2025年の夏は昭和100年並びに戦後80年ということで、例年にも増して戦争関係のテレビ番組が多かったと思う。 先の大戦に至る過程や、たくさんの青年が身を挺して非人道的な兵器に乗って基地を発つその様子、遠い地で補給を絶たれ戦って死ぬより...
日光市の郷土史

栗山東照宮の御神体騒動

旧・栗山村の野門に「栗山東照宮」がある。昭和45年(1970)に建立された神社で、神社の歴史としてはかなり最近のものであるだろう。 これは「戊辰戦争の際、日光に戦禍が及ぶことを恐れた日光東照宮が御神体を会津藩に動座する途中、野門に立ち寄った...
日光市の郷土史

高原磁石石(高原新田宿)に隠されていた文字

これは2025年5月16日、「会津西街道の一里塚を探す(3 中荒井村市郎兵衛 南無阿弥陀仏供養塔)」で地元郷土史家の大塚建一郎、日光市文化財課の方々と旧・高原新田宿を訪れた際の記録の一部である。高原磁石石 日光市の指定文化財になっている高原...
日光市の郷土史

日光和楽踊り

日光市民ならばほとんど誰もが知っている日光和楽踊りにっこうわらくおどり。 日本各地に数多ある盆踊りの一つで、関東地方でも代表的なものの一つに数えられるだろう。 昔からあるような感じもするが、実は和楽踊りの歴史は比較的新しい。日光和楽踊りとは...
日光市の郷土史

二荒山と赤城山の神の戦い

先日、「心の洗濯」と称して群馬県の老神温泉おいがみおんせんに行ってきた。我ながらリーズナブルな男である。 日光から老神温泉までは足尾を経由しても金精峠を経由してもどちらも2時間程度で行けるため、比較的手軽に行ける上に宿泊客の9割以上が日本人...
日光市の郷土史

高田一門の仏師

以前投稿した記事「龍王峡と五龍王神社」の中で、龍王峡の五龍王神社の御神体である龍神像を彫ったのは高田運秀・喜代助の親子であると書いた。 今回は宇都宮を中心に活躍した仏師、高田一門について調べた。 高田家は美濃国高田郡(現在の岐阜県養老郡養老...
日光市の郷土史

高徳の六題目の碑の伝説考 2/2

前回からの続き。星家に伝わる話 さて、このように考えてみると、僕の感想としては「高徳の名門である半左衛門は、陰でヤミ渡し場の船頭をしていたが、子連れの貧乏な僧達に金を払ってもらえなかったから激怒して全員斬り殺した」という話はちょっと信用でき...
日光市の郷土史

高徳の六題目の碑の伝説考 1/2

六題目の碑の物語 会津西街道を今市から会津方面に向かい、高徳の鬼怒川ライン下り下船場あたりに、左手に分岐した細い道が見える。これは会津西街道の旧道で、道は東武鉄道鬼怒川線の線路の下をくぐり、小佐越駅の裏手側につながっている。 この道の途中に...
日光市の郷土史

興雲律院の年越祭

令和7年1月14日、たまたま仕事が休みの日だったので、興雲律院の年越祭に行ってきた。もともとこの年越祭は、山伏が元日から2週間にわたって行う修行の満願日を祝ったことが始まりと言われている。結界が張られた境内に積まれた薪に、山伏たちの掛け声の...
日光市の郷土史

西澤金山を訪ねて(地域学習講座)

旧日光市の戦場ヶ原と、旧栗山村の川俣を結ぶ山王林道の途中、深山幽谷の中に「西澤金山」の跡がある。 大正年間の最盛期、西澤金山は約1,300人もの鉱山従事者やその家族が住み、病院や尋常高等小学校を備えた豊かで活気ある場所だった。 この金鉱山は...
日光市の郷土史

高原のその後 (高原新田宿 5)

移転後の高原とその後を辿る 高原新田宿を巡る話も今回が最終章となる。 今回は、移転したあとの高原について調べてみよう。高原八軒と高原村字川原の町割り さて、栃久保新道開通の翌年である元治元年(1864)3月20日に引っ越しを完了した新・高原...
日光市の郷土史

栃久保新道の完成と高原新田宿の移転(高原新田宿 4)

高原新田宿の移転栃久保新道の完成青線が栃久保新道(地理院地図を利用して作図) こうして幕末の動乱期に、東北・越後からの輸送路を確保したい幕府と、西船生河岸を建設した宇都宮藩と、旧来の地位を回復したい高原新田、藤原、大原、高徳の各宿の思惑が一...
日光市の郷土史

小佐越新道、西船生河岸、栃久保新道(高原新田宿 3)

小佐越新道と栃久保新道 前回まで、仲附の発生と宿駅側との対立、そして形勢が次第に仲附側の有利に傾いていく様子について調べた。 今回の章は仲附の誘致を目論み、小佐越村や川治村が開削した小佐越新道と、幕府によって開削された栃久保新道について調べ...
日光市の郷土史

仲附(中付)と五十里湖の出現(高原新田宿 2)

仲附と五十里湖の出現 前回まで、会津西街道の高原新田宿は高所難所で雪深い山中にありながら、地の利を活かして小規模ながらも繁栄していった様子を調べた。 今回はそんな会津西街道と高原新田宿が徐々に衰退していく様子について調べた。仲附(なかづけ)...
日光市の郷土史

高原新田宿の跡(高原新田宿 1)

皆さんは「日光市の高原(たかはら)」と聞くと何を思い浮かべるだろうか。僕は「高原大根」だった。鶏頂山の中腹に鶏頂開拓があり、メイプルヒルスキー場の側、すなわち雪がたくさん降る、というくらいの知識しか持ち合わせていなかった。 今回は高原新田宿...
日光市の郷土史

小休戸の延命地蔵尊と斎藤家

拙ブログでは今まで複数回に渡り小休戸について記事に取り上げてきた(「小百小学校小休戸分校」「小休戸の鹿地蔵」、「鬼怒川水力電気」など)。 今回は小休戸集落のなかでも、書き漏らしていた有名な小休戸延命地蔵尊と斎藤家住宅について書きたいと思う。...
今市史談会

今市小学校の石碑

さて今回は我が母校である今市小学校についてである。 今市小学校に通った方なら校門のところにそびえ立つ大きな石碑の存在をご存知であろう。 随分と前にこの石碑を眺めた時に、漢字がずらりと彫られた石碑の正面に「今市町」「渡邊佐平」の文字を読むこと...
日光市の郷土史

小休戸の鹿地蔵

鹿地蔵 拙サイトにも何度か登場している今は無住の集落である「小休戸」。 今回はその集落内にある「鹿地蔵」をご紹介したいと思う。 この写真は小休戸集落に唯一残っている斉藤家の建物である。無住であり、いつもはしっかりと扉が閉められているが、ご覧...
日光市の郷土史

大谷川岸の不思議な遺構

現在、今市の大谷川流域では川岸の樹木の伐採が行われている。これは主に河川の流れを阻害する土砂や樹木を取り除くことが目的である。 大谷橋の上から見ても並木大橋の上から見ても水郷橋の上から見ても、川岸はきれいさっぱり樹木が伐採され、長年見てきた...