令和6年8月4日、日光市の栗山公民館が主催した「地域学習講座 栗山ダム群の歴史探訪」に参加してきた。
これは地元の郷土史家の会である「栗山郷史談会」さんが講師を務められ、我々に旧栗山村に点在するダムとそれにまつわる歴史を教えていただけるというイベントである。講師の方には東京電力社員としてこれらのダムで勤務された方もおられる。
僕は今回、以前拙サイトで調べた「鬼怒川水力電気の黒部堰堤」の追加情報をご教授頂きたくこのイベントに参加した。
結論から申し上げれば、専門家に教えていただく情報は既刊の書籍では調べきれないことも数多く含まれ、非常に有意義な講座だった。
何と言っても、「日頃は立入禁止の場所」に案内していただけ、「俺は特別に入ったぜ」という満足感も十分に与えてくれるなど言う事無しだ。
川俣ダム

川俣ダムは景勝地としても名高い瀬戸合峡を望むアーチ式ダムで、昭和41年(1966)に竣工した。鬼怒川の最上流のダムであり、国土交通省が管理している。
この3つのダムはすべて隧道でつながっている。なぜ複数のダムや発電所をつなぐのに、わざわざトンネルを掘って隧道でつなぐのか不思議に思ったが、これは河川は水が染み込んだり、川底や岸などの様々な抵抗により流速が遅くなってしまうのに対し、隧道は計算された量と速度で水を流すことができるからだそうだ。
なるほど。何事にも意味がある。


訪れた時期は夏の渇水の時期で、鬼怒川の取水量は10%の取水制限中であった。なるほど、川俣ダムもずいぶんと湖水の量が少なく、日頃は見ることが出来ない島がぷかりと浮かんでいた。
土呂部ダム

土呂部ダムは発電用の重力式コンクリートダムで、訪れる人が少ないダムであるが、通常はダムに近づくことはできない。土呂部ダムと後述する黒部ダムは東京電力リニューアブルパワー株式会社のものである。
ここでも立入禁止の場所を案内していただけた。

資料を見ると土呂部ダムの竣工は昭和38年(1963)となっているが、立入禁止の場所では昭和19年(1944)に完成した水路を見ることができた。これは同年、国家総動員法によって完成した栗山発電所に導水するための設備である。

昭和19年といえば太平洋戦争の真っ最中だ。
翌年の昭和20年(1945)に戦争が終結して日本が敗北したことを考えると、物資・労働者・食料などの物資が極めて乏しい時代に完成した珍しいものである。
黒部ダムと栗山発電所
黒部ダムは大正2年(1913)に完成したコンクリートダムである。その成り立ちは拙サイト「鬼怒川水力電気 03 (黒部堰堤・黒部ダム1)」を参照していただきたい。

馬老山の山腹から伸びる栗山発電所の特徴的な鉄管。直径3mの太い管に耳をすませると、ゴウゴウと大量の水が下ってきているのがわかる。
その右隣にあるコンクリートの基礎のようなものが、昭和19年(1944)完成当時の鉄管の土台である。
写真左手隅に、「山神社」の石碑が見える。はるか昔にはこの山神社の前から鉄管を横切るように道が付いており、それに沿って遺跡が発掘されている。

栗山郷史談会
結びとなって恐縮ですが、今回の地域学習講座はとても学ぶことが多い素晴らしい講座でした。お世話になった栗山郷史談会さん、日光市栗山公民館さんにはとても感謝しています。ありがとうございました。

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