藤原町

街道

塩原道(高原新湯道)2

前回からの続きである。 以下に当日歩いたおおまかな軌跡を貼ったが前回にもお話した通りこの道は大変危険なルートも通るため、ルートは大雑把にぼかしてある。 もし行ってみたい人がいたら、ルートをよく知る先導者の立会のもとに入山するようにくれぐれも...
街道

塩原道(高原新湯道)1

拙ブログで毎度おなじみの「天保国絵図(天保9年(1838)完成)」をもとに、このところ日光の一里塚の場所を仕事より熱心に探ってきた。 今回は天保国絵図に描かれている高原新田宿と湯本塩原村の元湯を結ぶ古道、「塩原道」を歩いてみた。 ちなみに天...
日光市の郷土史

高原磁石石(高原新田宿)に隠されていた文字

これは2025年5月16日、「会津西街道の一里塚を探す(3 中荒井村市郎兵衛 南無阿弥陀仏供養塔)」で地元郷土史家の大塚建一郎、日光市文化財課の方々と旧・高原新田宿を訪れた際の記録の一部である。高原磁石石 日光市の指定文化財になっている高原...
街道

続・日光市の道路元標 (足尾・藤原編)

前回までに旧・日光市と今市市の道路元標の場所を訪ねてみた。 今回は足尾町と藤原町の道路元標の場所を訪ねてみよう。足尾足尾町道路元標 (確認済み)場所:足尾町役場前 府県道日光足尾線と足尾大間々線との分合点足尾町道路元標は足尾町役場跡の正面に...
街道

会津西街道の一里塚を探す(3 中荒井村市郎兵衛 南無阿弥陀仏供養塔)

拙サイトの記事、「会津西街道の一里塚を探す(1)(2)」の中で、特に発見に難儀している高原ー五十里間の一里塚と言われる南無阿弥陀仏供養塔。 これをどうしてもこの目で見ようと今年、春になって雪解けになってからも更に2度現地を訪れ、ほぼ唯一の手...
日光市の郷土史

高田一門の仏師

以前投稿した記事「龍王峡と五龍王神社」の中で、龍王峡の五龍王神社の御神体である龍神像を彫ったのは高田運秀・喜代助の親子であると書いた。 今回は宇都宮を中心に活躍した仏師、高田一門について調べた。 高田家は美濃国高田郡(現在の岐阜県養老郡養老...
日光市の郷土史

高徳の六題目の碑の伝説考 2/2

前回からの続き。星家に伝わる話 さて、このように考えてみると、僕の感想としては「高徳の名門である半左衛門は、陰でヤミ渡し場の船頭をしていたが、子連れの貧乏な僧達に金を払ってもらえなかったから激怒して全員斬り殺した」という話はちょっと信用でき...
日光市の郷土史

高徳の六題目の碑の伝説考 1/2

六題目の碑の物語 会津西街道を今市から会津方面に向かい、高徳の鬼怒川ライン下り下船場あたりに、左手に分岐した細い道が見える。これは会津西街道の旧道で、道は東武鉄道鬼怒川線の線路の下をくぐり、小佐越駅の裏手側につながっている。 この道の途中に...
街道

会津西街道の一里塚を探す (2)

前回までで、旧・会津西街道にあった一里塚と推定される場所を訪ねてみた。今回はその旧・会津西街道の中でも難所と言われた現在の鶏頂開拓に向かい、五十里から三依・横川に向かってみる。6. 藤原ー弐ツ屋一里塚の記載概要天保国絵図なし下野一国あり藤原...
街道

会津西街道の一里塚を探す (1)

さて前回まで日光市の10個(とおまけの1個)の一里塚を訪ねてみたが、気になるのは会津西街道には大桑~上三依間の約40km(現代の道路による距離)に渡り、一里塚が全く無いことである。会津西街道の日光市側で現在確認されている一里塚は3個(推定大...
街道

日光市の一里塚

一里塚とは 今回は、日光に現存する一里塚について調べてみた。 「一里塚」について簡単におさらいしてみよう。 江戸幕府は慶長8年(1603)に全国の主要街道を整備し、江戸日本橋を起点として一里ごとに道路の両側に五間(約9m)四方の塚を築き、そ...
日光市の郷土史

高原のその後 (高原新田宿 5)

移転後の高原とその後を辿る 高原新田宿を巡る話も今回が最終章となる。 今回は、移転したあとの高原について調べてみよう。高原八軒と高原村字川原の町割り さて、栃久保新道開通の翌年である元治元年(1864)3月20日に引っ越しを完了した新・高原...
日光市の郷土史

栃久保新道の完成と高原新田宿の移転(高原新田宿 4)

高原新田宿の移転栃久保新道の完成青線が栃久保新道(地理院地図を利用して作図) こうして幕末の動乱期に、東北・越後からの輸送路を確保したい幕府と、西船生河岸を建設した宇都宮藩と、旧来の地位を回復したい高原新田、藤原、大原、高徳の各宿の思惑が一...
日光市の郷土史

小佐越新道、西船生河岸、栃久保新道(高原新田宿 3)

小佐越新道と栃久保新道 前回まで、仲附の発生と宿駅側との対立、そして形勢が次第に仲附側の有利に傾いていく様子について調べた。 今回の章は仲附の誘致を目論み、小佐越村や川治村が開削した小佐越新道と、幕府によって開削された栃久保新道について調べ...
日光市の郷土史

仲附(中付)と五十里湖の出現(高原新田宿 2)

仲附と五十里湖の出現 前回まで、会津西街道の高原新田宿は高所難所で雪深い山中にありながら、地の利を活かして小規模ながらも繁栄していった様子を調べた。 今回はそんな会津西街道と高原新田宿が徐々に衰退していく様子について調べた。仲附(なかづけ)...
日光市の郷土史

高原新田宿の跡(高原新田宿 1)

皆さんは「日光市の高原(たかはら)」と聞くと何を思い浮かべるだろうか。僕は「高原大根」だった。鶏頂山の中腹に鶏頂開拓があり、メイプルヒルスキー場の側、すなわち雪がたくさん降る、というくらいの知識しか持ち合わせていなかった。 今回は高原新田宿...
日光市の廃校

川治小中学校(川治小学校・高原尋常小学校) (旧藤原町の廃校06)

今回は平成22年(2010)に廃校となった日光市立川治小中学校について調べてみた。 まず始めに、今回の川治小中学校について調べるために、川治在住の郷土史研究家であられる大塚建一郎氏に極めて多大なご協力を頂いた。今回の僕の発表は、大塚氏が記し...
日光市の郷土史

龍王峡と五龍王神社

龍王峡の名付け親である矢島市郎、無名の渓谷にハイキングコースを提案した斎藤茂吉。ちょっぴり深い龍王峡の歴史をたどります。
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 08 完 (犠牲者を悼む碑)

犠牲者を悼む 今回は鬼怒川水力電気㈱の建設工事で犠牲になった人々の供養の跡を辿ってみよう。鬼怒川水力電気大丸組配下傷病死者供養塔(旧・藤原町) 鬼怒川温泉大原の日光市立藤原中学校から旧道に入ってすぐの墓地の一角にひっそりと立つ「供養塔」。こ...
鬼怒川水力電気

鬼怒川水力電気 07 (巨大工事がもたらした光と影)

明治から大正時代にかけて、ほんの数年で完成して東京までの送電を開始した「鬼怒川水力電気株式会社」。当時東洋一と言われた規模のダムを作るために工事に従事した人数は常時6,000人とも8,000人とも言われ、それらの人々が短期間に今市町、藤原村...