拙サイトの記事、「会津西街道の一里塚を探す(1)(2)」の中で、特に発見に難儀している高原ー五十里間の一里塚と言われる南無阿弥陀仏供養塔。
これをどうしてもこの目で見ようと今年、春になって雪解けになってからも更に2度現地を訪れ、ほぼ唯一の手がかりと言っていい「栃木県歴史の道調査報告書3」の会津西街道の地図を片手に、くま、いのしし、鹿が楽しく暮らす携帯電話不通の山中を歩き回った。
結果、これをどうしても発見できず、もう一人で探すことを断念した。
この発見に頼りになるのは、以前から何かとお世話になっている川治在住の郷土史家、大塚建一郎氏である。
僕は厚かましくもまた大塚氏に電話をして、どうしても一里塚と言われる供養塔が見つからないこと、大塚さんが「暇で暇でどうしようもなくて仕方がないから力になってあげようかな」と思った時で構わないので、僕はいつでも仕事は休むので、どうか僕をそこに連れて行っていただけませんか、とお願いした。
大塚氏は快諾してくださり、ついでに「高原新田宿から元湯村に続く塩原道」も一緒に歩こうと言っていただいた。塩原道は現在の地図でいうと高原新田からハンターマウンテンスキー場に向けての山中にあり、はっきりいってここを訪れる人はいないし、詳しい道のりを記した本は無いと断言できるほどのマイナーな道である。本当に感謝の気持ちしかない。
僕は、そんな贅沢なガイド付きツアーに自分一人だけしか参加しないのはもったいないと思い、大塚氏にその旨を提案したところ以前からお世話になっている日光市郷土資料館のS氏、日光市文化財課のK氏を誘っていただいた。
結論から言えば、この2つの行程は非常に実りのあるものだった。
会津西街道 高原新田ー五十里間の一里塚
まず、少し長くなるが「栃木県歴史の道調査報告書3」に出てくる高原新田ー五十里間の一里塚の記事を転載しよう。
ササの群衆地を抜けるとまもなく高原地内から五十里地内に入る。目印は左手にある享保年間(1716-1736)に「中荒井村市郎兵衛」の名で建てられた南無阿弥陀仏供養塔(12)である。中荒井村は陸奥国南会津郡に属しており、塔は会津藩領域である五十里に入ったことを告げている。(中略)この地点はまた、会津藩領に入って最初の(会津藩から見れば最後の)一里塚があった場所とも言われている。
南無阿弥陀仏供養塔の場所(栃木県歴史の道調査報告書3より)
僕はこの地図とGPSを頼りに、都合4回も(12)の場所を縦横無尽に歩き尽くした。しかしどうしても発見に至らず、歴史の道調査報告書を編纂した栃木県教育委員会事務局文化財課に2度も問い合わせたがこの印の場所で間違いは無いという。
以下は、ある日、その(12)の場所を歩き回ったGPSの軌跡である。

しかしこの地図に記された場所は間違っていた。
2025年5月16日、まだ春の花が咲く高原新田を出発した僕達は、大塚氏の案内のもと、ようやく供養塔をこの目にすることができた。
実際は記されたマークよりさらに1kmほど五十里宿方面に下った場所が、件の南無阿弥陀仏供養塔(高原新田ー五十里間の一里塚)正確な地点であった。文中にある「ササの群生地を抜けるとまもなく」では全くない。
中荒井村の市郎兵衛の南無阿弥陀仏供養塔
さあ、今回大塚氏に案内していただいた実際の場所をご覧いただこう。インターネット上に掲載されるのはこれが初であろう。
「中荒井村の市郎兵衛の南無阿弥陀仏供養塔」の場所と写真である。


「享保歳中 南無阿弥陀仏 中荒井村市郎兵衛」
大きさは高さが55cm程度の小さなものである。この周囲にはぬかるみと共に塩ビパイプがある。ここは昔馬の水飲み場となっており、旅人の休憩場所も兼ねていたようである。


今後、何かの拍子に旧・会津西街道のこの区間を歩いてみようと思う方が出てくるかもしれない。そして歩くためのガイド本のようなものを探すだろうが、この区間が詳しく案内された本は「栃木県歴史の道調査報告書3」をおいて他にないため、これを手に笹薮の山中に突入してくことだろう。
何度も見当違いのところを35往復くらいうろうろさせられたことに文句を言っているように聞こえるかもしれないが(言っている)、僕はこの報告書に何度も助けられ、多くの新しい知識を得ることができた。それは非常に感謝しているのだが、誤りは誤りとしてここに指摘したい。
さらにこの石碑の発見を困難にさせたもう一つの原因として挙げたいのが、この場所にたどり着いたとき、石碑はうつ伏せになって倒れていたということだ。倒れているとこれはもう周囲の石と馴染んでしまい、なおのこと発見は困難になるだろう。
後に続くアマチュア郷土史家たちよ。どうか出発の前にこのページにたどり着き、豊臣秀吉や会津のお殿様たちが通った由緒正しい会津西街道で無事に供養塔を発見することができますように。
この後、昼食を経て歩いた「塩原道」がとても素晴らしい経験だったので、また後ほど編集して発表する。


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