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街道

塩原道(高原新湯道)2

前回からの続きである。 以下に当日歩いたおおまかな軌跡を貼ったが前回にもお話した通りこの道は大変危険なルートも通るため、ルートは大雑把にぼかしてある。 もし行ってみたい人がいたら、ルートをよく知る先導者の立会のもとに入山するようにくれぐれも...
街道

塩原道(高原新湯道)1

拙ブログで毎度おなじみの「天保国絵図(天保9年(1838)完成)」をもとに、このところ日光の一里塚の場所を仕事より熱心に探ってきた。 今回は天保国絵図に描かれている高原新田宿と湯本塩原村の元湯を結ぶ古道、「塩原道」を歩いてみた。 ちなみに天...
今市地震

今市飛行場と萱場開拓

今年2025年の夏は昭和100年並びに戦後80年ということで、例年にも増して戦争関係のテレビ番組が多かったと思う。 先の大戦に至る過程や、たくさんの青年が身を挺して非人道的な兵器に乗って基地を発つその様子、遠い地で補給を絶たれ戦って死ぬより...
日光市の郷土史

栗山東照宮の御神体騒動

旧・栗山村の野門に「栗山東照宮」がある。昭和45年(1970)に建立された神社で、神社の歴史としてはかなり最近のものであるだろう。 これは「戊辰戦争の際、日光に戦禍が及ぶことを恐れた日光東照宮が御神体を会津藩に動座する途中、野門に立ち寄った...
日光市の郷土史

高原磁石石(高原新田宿)に隠されていた文字

これは2025年5月16日、「会津西街道の一里塚を探す(3 中荒井村市郎兵衛 南無阿弥陀仏供養塔)」で地元郷土史家の大塚建一郎、日光市文化財課の方々と旧・高原新田宿を訪れた際の記録の一部である。高原磁石石 日光市の指定文化財になっている高原...
日光市の郷土史

日光和楽踊り

日光市民ならばほとんど誰もが知っている日光和楽踊りにっこうわらくおどり。 日本各地に数多ある盆踊りの一つで、関東地方でも代表的なものの一つに数えられるだろう。 昔からあるような感じもするが、実は和楽踊りの歴史は比較的新しい。日光和楽踊りとは...
街道

続・日光市の道路元標 (栗山編と栃木県道路元標)

日光市に存在した道路元標を巡る旅もいよいよ最終章である。 今回は栗山と宇都宮を訪ねた。栗山栗山村道路元標 (推測)場所:大字日蔭 府県道三依今市線と川俣今市線との分岐点 今回、場所を推定するのに一番厄介だったのはこの栗山村道路元標だ。「三依...
日光市の鉄道

東武野口駅

現在東武鉄道では、下今市駅から鬼怒川温泉と日光に向けて、それぞれ蒸気機関車を走らせている。 鬼怒川温泉駅と下今市駅を往復するのは「SL大樹」である。それぞれの駅には転車台が設けられ、終点に到着したSLは180度向きを変えてSLの部分を先頭に...
街道

続・日光市の道路元標 (足尾・藤原編)

前回までに旧・日光市と今市市の道路元標の場所を訪ねてみた。 今回は足尾町と藤原町の道路元標の場所を訪ねてみよう。足尾足尾町道路元標 (確認済み)場所:足尾町役場前 府県道日光足尾線と足尾大間々線との分合点足尾町道路元標は足尾町役場跡の正面に...
日光市の郷土史

二荒山と赤城山の神の戦い

先日、「心の洗濯」と称して群馬県の老神温泉おいがみおんせんに行ってきた。我ながらリーズナブルな男である。 日光から老神温泉までは足尾を経由しても金精峠を経由してもどちらも2時間程度で行けるため、比較的手軽に行ける上に宿泊客の9割以上が日本人...
街道

続・日光市の道路元標 (今市編)

前回の旧・日光市の道路元標に引き続き、今回は今市市の道路元標を訪ねてみよう。 記録では今市には4つの道路元標があったことが記録されている。今市今市町道路元標 (確認済み)場所:大字今市地内 府県道宇都宮日光線と今市若松線との分岐点 今市町道...
街道

会津西街道の一里塚を探す(3 中荒井村市郎兵衛 南無阿弥陀仏供養塔)

拙サイトの記事、「会津西街道の一里塚を探す(1)(2)」の中で、特に発見に難儀している高原ー五十里間の一里塚と言われる南無阿弥陀仏供養塔。 これをどうしてもこの目で見ようと今年、春になって雪解けになってからも更に2度現地を訪れ、ほぼ唯一の手...
日光市の郷土史

高田一門の仏師

以前投稿した記事「龍王峡と五龍王神社」の中で、龍王峡の五龍王神社の御神体である龍神像を彫ったのは高田運秀・喜代助の親子であると書いた。 今回は宇都宮を中心に活躍した仏師、高田一門について調べた。 高田家は美濃国高田郡(現在の岐阜県養老郡養老...
街道

続・日光市の道路元標 (旧・日光市編)

以前の記事で、現存する日光市の道路元標について調べた。 今回は、すでに無くなってしまったが記録に残っている道路元標の場所について調べてみる。 大正8年(1919)の旧道路法で制定された道路元標は、栃木県条例「道路元標ノ位置ニ関スル件(大正9...
今市地震

野口沼 (今市地震の爪痕・外伝)

令和7年の冬、意を決して野口沼に行ってきた。 野口沼とは昭和24年(1949)12月26日、栃木県の今市地方を襲った大地震、「今市地震」によって出来た沼である。 地震についての記事は拙サイトのリンクを辿っていただきたい。 沼の存在は随分前か...
日光市の郷土史

高徳の六題目の碑の伝説考 2/2

前回からの続き。星家に伝わる話 さて、このように考えてみると、僕の感想としては「高徳の名門である半左衛門は、陰でヤミ渡し場の船頭をしていたが、子連れの貧乏な僧達に金を払ってもらえなかったから激怒して全員斬り殺した」という話はちょっと信用でき...
日光市の郷土史

高徳の六題目の碑の伝説考 1/2

六題目の碑の物語 会津西街道を今市から会津方面に向かい、高徳の鬼怒川ライン下り下船場あたりに、左手に分岐した細い道が見える。これは会津西街道の旧道で、道は東武鉄道鬼怒川線の線路の下をくぐり、小佐越駅の裏手側につながっている。 この道の途中に...
今市地震

今市地震よもやま話

令和7年3月9日(日曜日)、「今市地震よもやま話」と題された歴史講演会が日光市立今市図書館で開催される。 講師はなんとびっくり私である。 以前拙ブログに掲載した記事に加え、新たに調査、見聞きしたことを発表したいと思う。 人前で話すことは得意...
日光市の郷土史

興雲律院の年越祭

令和7年1月14日、たまたま仕事が休みの日だったので、興雲律院の年越祭に行ってきた。もともとこの年越祭は、山伏が元日から2週間にわたって行う修行の満願日を祝ったことが始まりと言われている。結界が張られた境内に積まれた薪に、山伏たちの掛け声の...
街道

会津西街道の一里塚を探す (2)

前回までで、旧・会津西街道にあった一里塚と推定される場所を訪ねてみた。今回はその旧・会津西街道の中でも難所と言われた現在の鶏頂開拓に向かい、五十里から三依・横川に向かってみる。6. 藤原ー弐ツ屋一里塚の記載概要天保国絵図なし下野一国あり藤原...