東海道五十三次 Day11 「吉田-御油-赤坂-藤川-岡崎」(2)

東海道五十三次 Day11 「吉田-御油-赤坂-藤川-岡崎」

 東海道の旅も11日目。吉田宿を出発した今朝から雨は止む気配を見せない。

藤川宿

 藤川宿は慶長6年(1601)に宿場町となったが、7.5km先の岡崎宿が栄えていたこともあり規模が小さかったために困窮した。一村だけでは宿場機能の維持は不可能となったため慶安元年(1648)、近隣の市場村から68戸を加宿する措置が取られた。

東棒鼻跡

 藤川宿の入り口にあたり、石垣見附や傍示杭が再現されている。

東棒鼻跡

東海道五捨三次之内 「藤川 棒鼻ノ図」歌川広重

 歌川広重は天保3年(1832)に八朔御馬献上はっさくのおうまけんじょうに加わって東海道を進み、初めて京都を訪れた。「藤川 棒鼻ノ図」はその時の模様を描いたもので棒鼻に差し掛かった行列の一行とそれを出迎える宿場役人の様子が描かれている。

東海道五捨三次之内 「藤川 棒鼻ノ図」歌川広重
東海道五捨三次之内 「藤川 棒鼻ノ図」歌川広重

 藤川宿は史跡こそ多くはないが風情がある町並みで「米屋」「銭屋」をはじめ格子造りの風情ある建物が残されている。

藤川宿

問屋場跡

 御伝馬所と呼ばれた問屋場跡。標石のみが残る。

藤川宿 問屋場跡

銭屋(平岡家住宅)

 文政年間(1818~30年)ごろに建てられたとみられる銭屋。隣には屋号「米屋」の野村家住宅もある。

銭屋(平岡家住宅)

藤川宿本陣跡

 本陣跡は広場として整備されており、本陣の石垣跡や復元された高札場の様子を見ることが出来る。

藤川宿本陣跡

藤川宿脇本陣(資料館)

 本陣跡の隣には橘屋と呼ばれた脇本陣があり、藤川宿資料館として無料で拝見することができる。門は往時のものである。

藤川宿脇本陣(資料館)

藤川村道路元標

 藤川村は愛知県額田郡にあった村である。現在は岡崎市となっている。

藤川村道路元標

藤川の一里塚

 標識が置かれている。江戸より79里目。

藤川の一里塚

藤川の松並木

 クロマツの古樹が1kmほどに渡って続く。江戸時代の風景が想像できる。

藤川の松並木

西大平藩陣屋跡

 ドラマ「大岡越前」でつとに有名な名奉行、大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)ゆかりの場所。
 享保2年(1717)江戸南町奉行として有名な大岡越前守は旗本大岡忠高の4男として生まれた。その後同族の家に養子となって家督を継ぎ奉行として活躍し、寛延元年(1748)三河国の西大平藩1万石が加増されて譜代大名となった。忠相72歳であった。江戸時代を通じて町奉行が大名になったのは大岡忠相のみである。
 大岡が大名であったのはわずか3年のみで、宝暦元年(1751)には亡くなっている。

西大平藩陣屋跡

 陣屋跡は無料で解放され、中を見ることができる。

西大平藩陣屋跡

 ここに滞在中、ずっと口ずさんでいた歌が「銭形平次」のテーマソングだった事に退去する寸前に気がついた。頭に浮かんでいるちょんまげの人がどっちなのかはわからない。区別がつかない。

大平の一里塚

 南側の塚のみ形を残し、国指定の文化財となっている。榎は昭和20年(1945)の台風の際に倒れたため新たに植樹されたものである。
 北側の塚は昭和3年(1928)の道路拡張の際に取り壊された。江戸より80里目。

大平の一里塚

岡崎宿

 東海道は岡崎宿に入る。岡崎城下であったこのあたりは「二十七曲り」と呼ばれ、道が何度も屈折している。この道は豊臣秀吉の甥である秀次の家老、田中吉政が城主だったころの1590年~1600年に城の防備のために作られた。
 岡崎城は徳川家康が生まれた城で、家康は元亀元年(1570)に浜松に移るまで居住した。

秋葉山常夜灯

 二十七曲がりを地図をよく確認しながら進む。途中途中の曲がり角に標柱が置かれているが、手持ちの「ちゃんと歩ける東海道五十三次」の曲がり角と一致しないところも多い。
 これは今や民有地となってしまった土地や道路を勝手に通らせないためなのかもしれない。

秋葉山常夜灯

リブマックス岡崎

 ぐしょ濡れになってたどり着いた本日の宿、リブマックス岡崎。シングル6,150円。

リブマックス岡崎
リブマックス岡崎

 雨に濡れた服をコインランドリーに投入し近くの飲食店を探す。
 飲食店は乙川を渡って東岡崎駅前まで10分くらい歩かなければやっている店がない。
 着替えてホテルを出て駅に向かい、目に止まった居酒屋に落ち着く。靴が濡れていて気持ち悪いがしかたない。夜、ドライヤーを使って乾かそう。

岡崎宿の居酒屋

岡崎宿での火事騒ぎ

 ホテルの部屋に帰って荷物をバラしていたら火災報知器が!
 消防車もやってきた。

 自動音声で「8階で火災が発生しました。落ち着いて避難してください。」とアナウンスされたが、同時に外国人のフロント係が「タダイマの警報はゴホウです」とも放送している。廊下に出てみたがこのフロアには他に客はいないらしく、誰も外の様子を伺いに出てこない。
 警報と自動音声は10分以上もの間言語を変えて繰り返し避難を呼びかけている。窓の下には消防車も2台ほど見えている。僕はザックの中を空にして荷物整理をしているので全て持って逃げるのは不可能である。
 財布と防寒着だけ持って一応避難してみたが、やはり誤報だったそうで胸をなでおろした。ちなみにこういったホテルでは火災報知器が発報すると自動的に消防署に通知が届くようになっているらしい。

 一日を通して雨に降られたため疲労困憊であるが、見どころが多く楽しい旅だった。
 明日は熱田神宮の門前町、宮宿に向かう。

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