東海道五十三次 Day09 「袋井-見付-浜松-舞阪-新居」

東海道五十三次 Day09 「袋井-見付-浜松-舞阪-新居」

 旅は9日目。本日は40kmほど歩く予定のため早立ちし、袋井宿から見付宿、浜松宿、舞坂宿から新居宿に至る行程。
 袋井宿に入ったあたりでこの旅も折り返し地点に差し掛かったという。なるほど、そう言えば出発当初よりも僕の身体は「昔の人間に進化(?)」している。神奈川県辺りで僕を悩ませた日々の終盤の股関節周りの張りも今はずいぶんと楽になり、長距離の移動に比較的余裕を持てるようになった。

袋井宿

 無人のフロントに鍵を置いて早朝に出発。時間は5:50。この頃の日の出は6:20くらいなのでまだ暗い。

袋井宿

袋井宿 中本陣

 大田家が務めた中本陣の跡。現在は標柱が残るのみで、暗くて見過ごしてしまった。

袋井宿中本陣

木原の一里塚

 江戸より61里目の一里塚で復元されたもの。元々はこの少し手前にあり、そこには標柱が残されている。

木原の一里塚

江戸の古道

 旧東海道は左折して林の中に入る。なかなかの坂で歩行者しか入れない。なぜか凄まじい手ブレ写真。

江戸の古道

遠州鈴ヶ森刑場跡

 別名「見付刑場」。看板があり、「ここは刑場跡ではない」とある。しかし10年以上前のGoogleマップを見るとたしかに「遠州鈴ヶ森刑場跡」と大きな看板が見える。実際は遠州鈴ヶ森刑場はこの傍にあったが、国道1号線拡幅の際に埋没したため近くにあったこの場所が鈴ヶ森刑場跡の供養塔を安置する場所として提供されたそうだ。

遠州鈴ヶ森刑場跡

秋葉山常夜灯

 この周辺は火防の神、秋葉山が近いため、大きな規模の秋葉山信仰の常夜灯が多い。この秋葉山常夜灯は大正4年(1915)建立のもの。

秋葉山常夜灯

阿多古山の一里塚

 この一里塚を見つけるのに15分ほど時間を費やした。塚は右手と左手にあることは解っていたが、左手の塚は愛宕神社がある小山(阿多古山あたごやま)の上にあり、一度坂を下って神社の参道を登り返さなくてはならない。愛宕神社からは見付宿が一望できるそうだが特に一望しなくても良いのでこちらは諦め、右手の塚だけ見学しようと思っていた。
 しかしどう見ても右手にはアパートと民家しか無い。結局坂を下りきってしまい、「見逃したか」と思ってまた坂を登り返す羽目になってしまった。

阿多古山の一里塚

 阿多古山の一里塚はなんと民家とアパートの間の向こう側、頭上にあった。これでは容易に見つかるはずもない。江戸時代にこんな地形上の見つけにくい両側に一里塚を造るわけはない。昔はこの辺りは阿多古山の山上と繋がっていて東海道はこの高さを通っており、近代になってその山を切り通して現在の坂を造ったのだろう。

阿多古山の一里塚

見付宿

 「見付」という地名は京都から江戸に向かう旅人がここまで来て初めて富士山を見つられることが由来だという。「見付」とも「見附」とも書かれたものがあるが今回は見付に統一した。理論上はここから西でも富士山を見ることは可能だが、この辺り(磐田市)は富士山から直線距離で100km以上離れているため、ここから先は気象条件が良くないと富士山が見つけにくいのかもしれない。
 見付宿はこの先に控える天竜川の川越宿として、また浜名湖北岸を経由して御油に向かう姫街道の追分として賑わった。平安時代には遠江国の国府が置かれた古くからの街である。本陣2、脇本陣1、旅籠56軒。

見付宿

北本陣跡

 標識を残すのみ。見付宿には江戸時代を彷彿させる建物や町並みは残っていない。

見付宿北本陣

見付学校

 現存する日本最古の擬洋風木造校舎。明治8年(1875)の開校当時は木造2階建てだったが、増えていく児童を収容しきれなくなり明治16(1883)に上部に3階を増築し、5階建てとなった。最上部まで見学できるということだが、まだ朝早いので開館していなかった。

見付宿 見付学校

笑う野菜

 素敵なシャッターだ。こういったものはやはり写真に収めたくなる。

見付宿

遠州国分寺跡

 遠州国分寺跡は奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇の詔によって全国60数か所に建てられた国立寺院の一つ。大きな敷地内は昭和26年(1951)に発掘調査がされ、七重塔跡などの奈良東大寺様式の伽藍が発見された。昭和27年(1952)国の特別史跡に指定。

遠州国分寺跡

 この周辺で我ら東海道ウォーカー必携の書である「ちゃんと歩ける東海道五十三次」は、東刊から西刊へとチェンジする。何度も出し入れを繰り返してボロボロになってきた東刊をリュックの奥にしまい、まだピカピカの西刊を出す。

くろん坊様

 JR磐田駅前を右折して1kmほど進むと緩やかな上り坂、「大乗院坂」に差し掛かる。これは坂の途中に「大乗院」という寺院があったことに由来する。そしてこの坂の途中には「くろん坊様」という、現代ではなかなか名付けるのに勇気がいる祠がある。

くろん坊様

 これは現在地より西に100mほど進んだ磐田化学工業のあたりにあった祠を移したものである。強盗に殺されたインド人の旅の僧を祀っており、咳や熱病にご利益がある黒坊大権現である。

くろん坊様

宮之一色の一里塚

 江戸より63里目の一里塚。塚は昭和46年(1971)に復元されたもの。

宮之一色の一里塚

明治天皇御座所跡碑

 間もなく天竜川に差し掛かるところに明治天皇御座所跡碑がある。明治天皇は渡河を控えここで小休止した。

明治天皇御座所跡碑

天竜川

 見付と浜松の間には「暴れ天竜」と呼ばれた天竜川がある。この川はその名の通りしばしば洪水を起こして沿岸の村々に大きな損害を与えていた。
 天竜川は長野県の諏訪湖を源とする。諏訪湖唯一の出口である長野県岡谷市の釜口水門を流れ出た天竜川は長野県、愛知県を経由して静岡県に至り、遠州灘に注ぐ大河である。
 川は中洲で2つに分かれ、東側は小天竜こてんりゅう、西側は大天竜おおてんりゅうと呼ばれたが、この中洲の場所も時代に寄って位置や大きさが変わった。小天竜、大天竜を渡るオーソドックスなものを「二瀬越え」と呼ぶが、渇水期でどちらかの瀬が干上がったものを「一瀬越え」、その反対に水量が増して中洲が無くなった状態を「一艘越え」と言った。これらは渡しの料金に大きな差があったことだろう。
 その天竜川に架かる「天竜川橋」は、これまた大井川橋に勝るとも劣らない長い橋梁である。昭和8年(1933)に架けられたこの橋は旧国道1号線(現在は静岡県道261号線)として戦前から東西の交通を支えてきた。長さは919.4m。

天竜川

 現在この天竜川橋は自動車専用となっており、徒歩の僕は50mほど上流に架けられた新天龍橋を渡る。その新天竜川橋の側面には落書きがある。非常にけしからんが、この落書きはどうやって書いたのだろう。20cm程の幅の立てるスペースはあるが、掴まるところもないしカラースプレーも浴びてしまうと思うのだが…。

天竜川

 新天竜川橋は欄干が低いが歩道は広く、それほど怖くない。

天竜川

東海道五捨三次之内 「見附 天竜川図」歌川広重

 歌川広重は見付宿の題材として天竜川を描いている。霧に煙る遠景と詳細に描かれた近景。手前にはニ艘の渡し船と二人の船頭が話し込みながら何かを眺めている。江戸方面から京方面を見ている構図で、手前が小天竜、奥が大天竜である。
天竜川は流れが急峻で徒渡しが出来なかったため舟での渡河が行われた。ここで使われる舟は「高瀬舟」と呼ばれ舳先が高く上がり船底が平らなことが特徴だった。急な流れのため渡し場はスタート地点が上流にあり、対岸の下流側に行き着くよう、上中下の乗船場に分かれていた。

東海道五捨三次之内 「見附 天竜川図」歌川広重
東海道五捨三次之内 「見附 天竜川図」歌川広重

舟橋跡

 天竜川を渡りきり、200mほど下流に進んで旧東海道に戻る。すぐに舟橋跡がある。天竜川の船渡しは明治初年頃まで行われていたが、明治7年(1874)に舟を繋いだ舟橋が出来た。明治元年の天皇行幸の際には78艘の舟を繋いで2日間だけ舟橋が架けられた記録があるので、この舟橋も同様の規模だったのだろう。
 明治16(1883)年には木製の池田橋が架けられた。橋は架けては流され、暴れ天竜との戦いがしばらく続けられたという。

舟橋跡

六所神社

 「東海道中膝栗毛」にも登場する六所神社は天竜川渡しの守護神。

六所神社

中ノ町道路元標

 大正9年(1920)に施行された旧道路法により設置された道路元標の一つ。中ノ町村の起点を示すものである。静岡県内ではおそらく唯一であるそうだ。へえそうなんだ。日光市に限ったって4つも現存しているのに。「中ノ町」の地名の由来はここから京都へも江戸へも60里ということらしい。でももう63里目の一里塚を過ぎてるんだけどね。

中ノ町道路元標

安間の一里塚跡

 江戸より64里目で標柱のみ残る。昔は榎が植えられており、姫街道の一里塚も兼ねていた。

安間の一里塚跡

馬込の一里塚跡

 特に見るべきものもなく4km過ぎ、馬込の一里塚跡。江戸より65里目の一里塚で解説板が残る。

馬込の一里塚跡

マルハンと丸半

 浜松宿に入る手前、東木戸があった場所にパチンコ店マルハンの看板と「丸半本店」という屋号が。深い関係があるのだろうか。いや無いか。

マルハンと丸半

浜松宿

 宇都宮市と餃子の覇権を争う浜松に到着。浜松城の城下町として栄え、本陣6、旅籠94軒と大きな宿場町だった。戦災による焼失や道路拡幅などで当時の面影は見られず、道路脇の案内板だけが往時のことを物語る。

東海道五捨三次之内 「濱松 冬枯ノ図」歌川広重

 杉の木の根本で焚き火をしてたむろする雲助たちと遠くに見える浜松城。歌川広重は浜松宿では宿外の街道筋の様子を描いている。

東海道五捨三次之内 「濱松 冬枯ノ図」歌川広重
東海道五捨三次之内 「濱松 冬枯ノ図」歌川広重

本陣跡

 6軒あった本陣は短い距離の中に固まって道路の左右に案内板が置かれている。ここから浜松城までは400mほどらしいが城の形は見えず、時間もないので立ち寄らず。

浜松宿杉浦本陣跡
浜松宿川口本陣跡

若林の一里塚跡

 江戸より66里目。昔は八丁畷と呼ばれる土手のある松並木が続いていたということだが今はその面影はない。

若林の一里塚跡

立場本陣跡

 立場とは宿場と宿場の間に設けられた休憩所のことを指すが、この立場本陣は明治元年(1868)明治天皇の巡幸の際に休憩所となった茶屋本陣で、江戸時代も身分が高い大名がここを利用した。この周辺ではあまり見ない古い建物。

立場本陣跡

しろくま食堂

 旧東海道は歩道も無い道路を進む。途中に「しろくま食堂」という可愛らしいレストランが。週に3日しか営業していないらしいが寄ってみたかった。

しろくま食堂

舞坂宿

 舞坂宿は「今切の渡し」を控えて賑わった。今切の渡しとは海とつながった汽水湖である浜名湖を渡る渡し舟のことである。
 文政年間(1818~1830)に海苔の養殖が盛んになり、現代でも青海苔と黒海苔を混ぜてつくる「ぶちのり」を販売する海産物店も多い。

舞坂宿

舞坂の松並木

 JR舞阪駅の近くから約700mに渡り松並木が続く。340本もあるそうだ。往時もこのような風景だったのだろう。

見付石垣

 舞坂宿の東の入口に当たる。大名などが通るときはここに見張りが立ったという。

舞坂の一里塚

 下は文化12年(1815)に建立された石灯籠。

 緩やかな坂を進む。もう間もなく浜名湖が見えるはずだ。

舞坂宿 本陣

 本陣跡で宮崎伝左衛門が務めた。標石しか残っていないがかなり立派な代物である。

舞坂宿脇本陣

 天保9年(1838)に建築された茗荷屋の建物を復元したもの。堀江清兵衛が務めた脇本陣。

 中に入って見学させていただいた。入口は狭いが奥行きは深く、うっとりするような設えである。

浜名湖

 浜名湖にたどり着いた。太平洋の海水が流入する汽水湖として有名な浜名湖はもともとは淡水湖であり、舞坂とこの先の新居は砂浜で地続きで結ばれ、その上を東海道が通っていた。しかし室町時代の明応7年(1498)に起きた明応地震と高潮により砂州が決壊して海水が流入し、浜名湖は汽水湖となった。この決壊した切れ口を「今切」といい、以降は約6km、2時間ほどの舟渡しとなった。

東海道五捨三次之内 「舞坂 今切真景」歌川広重

 歌川広重は舞坂宿として浜名湖の東岸を描いた。中央に突き出る山は実際には見られない。画面の大部分は外国人が「ヒロシゲ・ブルー」と呼ぶ藍色を使った浜名湖が描かれている。左下に描かれた木杭は波除けの杭で、この杭のお陰で荒波を避け、穏やかな船旅ができるようになった。
遠くに真っ白に描かれた富士山。この絵から以降、富士山は描かれていない。

東海道五捨三次之内 「舞坂 今切真景」歌川広重
東海道五捨三次之内 「舞坂 今切真景」歌川広重

弁天神社

 宝永6年(1709)、今切の渡しの安全を祈願して建てられた。今切の渡しは別名「一里の渡し」とも言われ、その管理権は新居宿が持ち、120艘の舟と360人の水夫が携わった。

浜名湖の弁天神社

 浜名湖の南側を歩く。東海道新幹線が上り、下りと結構たくさん通って行く。
 ちなみに新幹線のぞみ号は静岡県には一度も停車しない。あくまでも噂ではあるが、静岡県とJR東海はリニア中央新幹線の建設をめぐる長年の対立があり、報復として東海道新幹線のぞみ号は「静岡飛ばし」を行っていると言われている。

浜名湖

新居宿

 新居宿にたどり着く。本日のお宿は旅の六日目に一緒に薩埵峠を歩いてくれたTくんのお宅に泊まらせていただく。

新居宿

Private Lodging of MiLiS

 以前にも少し触れたがTくんは世界各地を飛び回ってビジネスをしており、浜名湖の一つ、北側の猪鼻湖畔でゲストハウスも経営されておられる。Tくんは新居宿の関所跡まで僕をクルマで迎えに来てくれ、2月なのに20度を越えたこの日、汗だくでたどり着いた小汚い僕をホテルリステル浜名湖の日帰り温泉に連れて行ってくれた。
 夜はTくんの家のテラスでバーベキューと酒と夕焼けを楽しむ。僕はここで「あれ、俺は王様なんだっけ。そうだったかもしれないな」と勘違いするほどの手厚い接待を受けた。

Private Lodging of MiLiS から見る猪鼻湖

 明日はまたTくんに新居宿まで送ってもらい、旅の続きを始める。
 こういった親切で、旅は続けていけるのだ。感謝。

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