東海道五十三次の旅に追われ、途中までで執筆を怠っていたが再開する。
前回まで、今市の起こりと市神様の由来について調べた。
今回は今市宿に遷座した市神様のその後について調べてみた。
市神神社
今市宿を一望に
元和5年(1619)、市神の祠は「日光市ふくろうの森手塚登久夫石彫館」の前の道路中央に置かれたと言われる。当時の今市宿は道路の中央に水路が配置されており、水路に橋渡すような形で祠が置かれた。
それに伴って、現在の春日町1丁目のあたりは「市上町」(市神町ではない)と呼ばれた。
当時の祠の形は現在に伝わっていないが、石祠のようなものであったのではないだろうか。



旅籠 白川屋
白川屋は旅籠を営んでおり、今市の上町きっての旧家で、市上町の重鎮だった。白川屋の建物は旅籠とは思えぬ立派な設えで、中庭を廊下でつなぐ離れも豪奢でたくさんの部屋を備えていた。
石のふくろうの彫刻で有名な手塚登久夫手塚登久夫氏(昭和13年(1938)-平成27年(2015))は白川屋の生まれである。現在建物は「ふくろうの森手塚登久夫石彫館」として一般に解放されている。

用水路の改修による遷座
その後、250年以上に渡って同じ場所で今市宿の発展を見守ってきた市神は、明治18年(1885)、街道の中央を流れていた用水路を道路の両側を流れるように改修する為、今市宿の西側(日光側)の木戸のあたりに遷座された。
日光杉並木街道に並行して通る国道119号線は当時は無かったため、市神は新しく作られた用水堀に沿って、今市を一望できる場所であった。

下の写真でみると、歩道橋の真下あたりが市神が遷座した場所だと思われる。当時は正面に見える国道119号線の舗装道路は無かったため、道路は左に少し屈曲(曲尺手)しながら日光杉並木に入っていった。杉並木の入口に置かれた愛宕山碑の場所は変わっていない。

道路改修による遷座、現在地へ
昭和27年(1952)頃より日光街道(国道119号線)は順次舗装工事が開始された。今市中心部の日光杉並木の道幅は自動車の通行上狭すぎるところがあったため、上今市駅のあたりから日光方面に向かって七里まで、並木道と並行する舗装道路が作られた。これが現在我々が自動車で通行している道である。
その道路建設に伴って市神は現在地、滝尾神社の境内に遷座された。
昭和30年頃には今市大通りで行われていた花市の開催に際し、市神と賽銭箱を荷車に乗せて花市会場に繰り出し、「出開帳」が行われていたという。
現代の御朱印ブームで、今市滝尾神社にもたくさんの人が訪れる。4月には例大祭が、7月には末社である八坂神社の八坂祭が執り行われる。滝尾神社に訪れた折には、ぜひ境内にひっそりと祀られている市神様にも手を合わせてみてはいかがだろうか。


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